|
カテゴリ:カテゴリ未分類
「古河公方」 散策途中で空さ見上げたら、飛行船さ浮かんでた。 なんかイベントさ、あったんかな。 ほげほげと歩いて来た古河城周辺散歩も、終点だど。 後は、のんびり家さ帰るだけだな。 今回は、3時間ぐらい歩いたんかな。 結構見るとこあって、たのしかったっぺ。 名残りおしいな~。 さてと 『古河城の歴史』といえば。忘れちゃいけねえ人たちがいる。 『古河公方』って言われてる人達だど。 簡単にいや~、『足利尊氏の子孫』に当たる人達のことでな。 『古河城』周辺に拠点をおいて、関東を治めてたんだど。 だもんで、関東の戦国時代さ勉強してっと、 なんだかんだと顔を出してくる連中なんだ。 だども、名前はしってっけんど、 どんな人たちなんか、今一よくわかんねな。 少し、勉強してみっか。 『足利尊氏』といえば。 将軍職を続けた、足利家が、まず浮かぶなぁ。 そっから、枝分かれしてった一族が、『公方』って人たちだべ。 『公方』も、たくさんいるみたいなんだけど。 頭さ、こんぐらかっちまうから、 今回は『古河公方』だけにしとこっ。 んで。 『古河公方』って呼ばれるのは、『初代の足利成氏』から、 『政氏』『高基』『晴氏』『義氏』までの5人。 おもに『古河城』周辺に拠点さおいて、 関東地方を治めてたんだ。 だから『鎌倉公方』って、呼ばれることもあるんだと。 一人一人見ていくと、それぞれの時代で、いろいろあってな。 ちと、一言じゃ書けね~ど。 最近は研究も進んでな。 昔はわからなかったことも、浮上してきたらしいんだ。 たとえば。 『足利成氏』が『古河公方』に就任するまでの話、とか。 『足利成氏』が鎌倉さ追われて、古河さ逃げてきて、 『古河城』さ拠点をおき、関東地方さ治めるようになったから、 って聞いてたんだけど。 これ、『足利成氏』が、自分の意思で鎌倉さ出て、 古河へ移ったって説があんだよ。 当時の『古河・下河辺荘』は鎌倉公方の直轄地になっててな。 『下河辺荘』と隣の『武蔵国(現・埼玉県)・太田荘』は『公方御料所』っつってな。 公方家に従う家臣たちが移り住むにも、好都合なとこだったんだ。 そんでもって、古河周辺にゃ、 成氏派の『小山氏』『那須氏』『小田氏』など。 北関東を治める協力な勢力か、控えていた。 そして、当時『足利成氏』と敵対していた、『上杉氏』の領地。 『武蔵国』や『上野国(現・群馬県)』も近かったんで、 攻め込むにゃ、都合もいかったらしいど。 って感じでな。 『古河公方』の研究も、どんどん進んでいてな。 新しい情報が一般人でも、本で読めるようになってきてんだよ。 関東の歴史が、また広がってきたな~。 うれしいんだけんど。 や~、頭さおっつかね~w。 ってことで。 第一回古河城周辺散歩は、今回でお終だけんど。 古河の話は、また知識さ溜まってきたら、書くかんな。 歴史は長くて、深いど~。 ほげほげ、行くべ~。 《参考》
最後まで読んでもらって、うれしい~ど~♪ あんがと~。 ランキング参加中! ぽちっと 押しとこれ~! にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2013.06.26 01:34:24
コメント(0) | コメントを書く |