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「戸場口山古墳」 こないだの『中の山古墳』 なんだかちょっと、気になんね。 特に、この名前。 なんで『中の山』なんだべな? その前によった古墳は『奥の山古墳』っつったし。 『奥』と『中』。 どっからみて『奥』で『中』なんだろ? 『前』もあんのけ? で、地図さじっとみてみたら、あったど。 『浅間(せんげん)塚古墳』 ここにゃ『前玉(さきたま)神社』がある。 『前』ってつくど。 場所は『奥の山古墳』と『中の山古墳』から見て 東の方向・・・あ、ちょっと『中の山古墳』より 北の位置になっちゃうな。 これじゃ『奥』『中』『前』にゃなんないや。 『奥』『前』『中』になっちゃうな。 ちなみに『浅間塚古墳』は昔、『前玉神社古墳』って 呼ばれてたみたいだね。 直径約50メートルの円墳でな。 大型円墳の部類に入るんだと。 『前玉神社』は延喜式神名帳にも乗るほど 古くからある神社なんだと。 今回は見学さ、いけなかったんだけど、 見とけばいかったかな? で、肝心の前、に当たる古墳なんだけどな。 どうやら、今は存在しないらしいんだ。 『戸場口山古墳』っつってな。 『中の山古墳』と『奥の山古墳』の東のほうに あったらしいど。 地図さ描いてみた。 こんな感じだべか? 『戸場口山古墳』『中の山古墳』『奥の山古墳』と合わせて 『渡柳(わたりやなぎ)三大墳』と呼ばれてたんだと。 『渡柳地区』にあっから、『渡柳三大墳』って呼ばれたんだな。 でな。『戸場口』ってのは『入口』って意味らしいど。 おもしろくなってきたべ? 『渡柳三大墳』を東からみっと、 『戸場口山古墳』=前(入口) 『中の山古墳』=真ん中 『奥の山古墳』=一番奥 ってな配置になんだ。 なるほど。名前が古墳の位置を、示してんだな。 これで名前の謎が、解けたね。 やった~。 『戸場口山古墳』は、 一辺約40メートルの『方墳』で 二重の周堀があったんだと。 7世紀前半から中ごろの古墳じゃないかって 言われてるらしいど。 だども大正7年ごろ。崩されちまってな。 今は宅地になってるらしい。 『中の山古墳』も、大正時代に土っことられたんだよね。 同じときに、崩されたんかな? どんだけ土っこ、必要だったんだろ? 暮らしていくためにゃ、必要な土だったんだろうけど、 『方墳』は、めずらしいもんね。 ちと、もったいなかったね。 崩す前に、みてみたかったな~。 《参考》 埼玉県立 さきたま史跡の博物館 見学のしおり ガイドブック さきたま (将軍山古墳展示館で購入) [郷土誌 : 静岡以外]【太田書店】稲荷山古墳と埼玉古墳群 / 斎藤忠 大塚初重【中古】【中古本... *********************************************************************** 最後まで読んでもらって、うれしい~ど~♪ あんがと~。 ランキング参加中! ぽちっと 押しとこれ~! にほんブログ村 ************************************************************************ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2015.08.18 23:59:35
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