カテゴリ:音楽
午前6時過ぎ起床。妻が伏せったり、夜遅くまで料理したり、それに加えてちびりちびりと酒を飲んだりで、なんだか疲れてしまい、いつもより1時間あまり遅い起床。明日、息子が上京することもあり、ちょっと塞いでいるせいもある。今年はひどくないと思っていた花粉症もここに来て症状が出始め、目が痒い。ここ数年、二人の子どもが相次いで家を離れていき、仕事で関係した人たちも転勤になっていく。そしてその時期はいつも3月。花粉症のいらだちと相まってアンニュイ。先日、浮かれて春風駘蕩と書いたが、沈む気持ちになるのも決まってこの時期。
夜来の雨は朝になって南風のせいで横殴りになった。昼休み、S耳鼻咽喉科を訪ねるも、本日午前の診療は正午までという。取引先で以前一緒に仕事をした人と無駄口をたたいたのがいけなかった。昼を過ぎて北風に変わり、夜半まで強風が吹いた。 今日は息子との最後の晩餐。夕食前にひとっ走り8km。インターバルを混ぜた。雨の後は北風になり、向かい風のコースは辛かったが、いい練習にはなった。 今日は全社挙げての送別会だったが、私はお世話になった退職する上司に礼の葉書を書くことを決め、この会を欠席、家庭優先とした。ワインを抜栓、数日後の娘上京引っ越しを手伝うこと、金銭管理のこと、今年の夏休みにアメリカのホームステイをすることの勧め、日々の生活などを話題にした夕食。焼肉を囲んだ。息子も饒舌になり、妻のインフルエンザも回復、楽しい一夜だった。 ラジオのニュースは今日この地の雨が100mmだったことを伝える。谷の水かさが増し、今後の薪取りは難儀するだろうな。でも一人の山行は精神の修行になる。山奥で一人ぜーぜーとした息づかいになり、谷間で樫の丸太を抱えて上り下りするのは、これはこれでいい。無心になれる。 昨日、Iさんに偶然出会った。彼とはPTA連合会の役員を一緒にしたことがあり、親しい間柄。酒席の波長が合い、楽しい一時期を過ごした。その彼がすっかり痩せていた。話を聞くと、心筋梗塞をやり、その後も糖尿病の治療を続けているとのこと。立ち話をしていても口が渇くという。それでも酒は飲んでいるよと明るく喋る姿は以前のままで、何となく安心した。年齢は私よりも僅か数歳年上。一緒にスポーツをやりませんかと勧めたが、果たして。新しい会社の名刺をいただいた。 今日の音楽、モーやんk385、ベーやんの運命をマルケヴィッチ、ラムルーで。ウィキに、マルケヴィッチはチャイコやムソルグスキーの解釈に定評とあるが、ハフナーや運命もメリハリが効いていていい。オケがよく鳴っている。特に運命はスピード感がある。ハフナーはモーツァルトを聴くというよりもマルケヴィッチのモーツァルトという印象、しかし5番は主題をとても劇的に表現し、迫り来るものを迫り来るものとして聴く者に強く刻印付ける。こんな演奏を聴くと、勝手な想像を膨らませてしまい、彼のイメージがいい意味で高まり膨らんでいく。キエフ出身ということからはロシアの懐深い深遠なラスプーチンの世界からやって来た人であるような、パルチザン運動をしたという記録からは反体制の芸術家であるような、そう孤高の指揮者。日本フィルを指揮したモノクロフィルムを見たことがあるけれど、ソボトニックのような風貌、枯れた中にも光る眼光は、鬱蒼とした森の中にある深い井戸の中の世界、踏み込むことのできない底なしの深みを感じる(ちょっと大げさかな)。ラムルーの運命第2楽章はオススメ、第3楽章の馬力は凄い。 横道に逸れるけれど、ラムルーといえばカザルスとの共演もいい。バッハの管弦楽組曲は悲壮感が漂っているし、未完成も壮絶。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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