カテゴリ:出張
平成27年7月9日木曜日 午前5時起床。曇り。朝は吉野屋を選択。 ウナギの幟がありました。急に食べたくなりました。昼をかねるので、2膳もいいやと勝手に決め込みました。満腹になりました。 久しぶりに一つ葉有料道路を走ってみました。太平洋から打ち寄せる波の飛沫が霧状になって、煙っていました。シェラトン・グランデ・オーシャンリゾートは頭の方が隠れそう。 台風の影響か、崩れる波頭はすごい迫力でした。地鳴りのような音に、怖さを覚えました。 鯉の販売を生業にしたトラックが止まっていました。どういう商売か、だいたい想像がつきます。私もかつては魚に関係した仕事をしていました。こういう業種の車に出くわすと、郷愁を覚えます。(これはどうでもいい話でした) 出張帰りの道中、道の駅のいくつかを覗くのも仕事の一つ。国道10号を北上。点在する施設の賑わいについて、高速道路開通後の様子を見るのが目的でした。結論を先に書くと、下の道は通行量が激減。インターから離れたところにある販売施設はどこも閑古鳥が鳴いていました。高速道路の光と影というか功罪です。一級国道であってすらこの様子。今さらではありますが、生き馬の目を抜く時代です。世知辛さの増していることを覚えました。写真は閑散の図です。 こちらは都農ワイナリー。昨日、宮崎商工会議所の方がここの活用を力説していましたが、訪ねてみると閑散。売店やレストランの方は手持ちぶさたのようでした。 製造工程をガラス越しに見ることができました。タンクは延岡の清本鉄工製でした。 少し時間があったので、寄り道をしました。日向といえば牧水です。国道10号から327号へ。耳川に合流し、さらに西方向へ。鶴野内という三叉路を左に切って、耳川を渡りました。走ること40分。緑の中に若山牧水記念文学館がありました。整備された公園に、木造の展示施設。 収蔵品は書簡をはじめノート、各種写真、書籍などでした。圧巻は自筆の掛け軸。10帖はあったでしょうか。独特の優しい字体は見事でした。当然、写真は法度。 牧水は明治18年生まれ、昭和3年没。43歳、若い死でした。旅の歌人、酒と自然を愛し、詠んだ歌は9千5百首あまり。私のまち・佐伯の首もあるようでしたが、確認すること能わず。交流は歌壇にとどまらず、文壇にも広い交際のあったことを知りました。手紙魔だったようで、毎日書いて、現存するだけでも1,600通あまり。大酒飲みで、毎日1升空けていたということです。同じ左党にあって、これは信じがたかったです。だいたい、酒量に関しては法螺話と相場が決まっています。倒れた土地は静岡県沼津市。そのまちには、大学の同級生にしてブロ友「アマオケホルン吹きの音盤中毒日記」氏が住んでいます。これは偶然というか、なんというか。調べたらそのまちにも若山牧水記念館というのがありました。館長は牧水の孫にあたる方だそうです。 記念館の近く、道沿いに生家がありました。彼の家は医者でした。待合室と診察室を覗くことが出来ました。写真は全景です。二階が彼の部屋とのことでした。庭に栴檀(センダン)の古木がありました。幼い頃、この木に登って遊んだことは容易に想像出来ます。樹皮に触ると、時空を越えて牧水を感じるから不思議です。 庭からの眺めです。蒼い淵、崩れる白瀬、深緑の川木と相まっての景色は、自然派の牧水が原点というと大げさでしょうか。出張は、夜の酒も楽しみですが、途中、時間の許す限り、折に触れてこういうところを見て回ることのありがたさもあります。 今日の一句 肘鉄をハイウエイから喰らわされ この景色枕に迫る瀬音かな 牧水のせいにするなり今日の酒 牧水の生家の竈何を炊く 栴檀に足跡探す生家なり 今日の写真は夏野菜の煮物です。昨晩、宮崎の夜を練り歩きました。そのことを察しての妻が仕儀です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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