カテゴリ:日記
Monday, July 27, 2020 午前4時起床。終日降ったり止んだりの天気でした。7月末というのに梅雨が明けず、鬱陶しい空模様が続きます。 書斎にネットサーフィン。新聞各紙をチェック、dマガジンで各雑誌の斜め読みしました。 その新聞各紙、全紙とも会員制を敷き、有料となって久しいです。私、65歳まで無年金生活です。入会すること能わずです。見出しのみの閲覧です。ところが、今日の毎日新聞サイトは、記事に閲覧制限の鍵マークがあるものの、そこをクリックしたらその全文を読むことができました。おかしいな、会員となった覚えはないのに。サービスの総合案内に電話をかけました。説明がありました。サイト内にトラブルがあり、現在、全ての記事閲覧を開放中とのこと。非会員読者としてはラッキーですが、HPにその旨の告知はありません(私の探した限りですが)。いらぬ心配をしてしまいました。 余談です。毎日新聞は閲覧制限の中にあって、社説と余録を無料で読むことができます。 読売は社説を開放ですが編集手帳はブロック。 朝日も同様、社説を読めるものの天声人語はアウト。 ちなみに日経は両方ともブロックですが、無料会員になると月10本の閲覧が可能です。 折角ですから、今のうちに隅から隅、毎日新聞のサイトを睨め回そう。覗いて廻りました。青木理氏の「理の眼」という連載が出色でした。彼はサンデー毎日にもコラムを持っています。好きなジャーナリストです。 目を惹いたのは吉井理記氏の記事でした。見出しは なぜ首相は「痛感」した責任を取らない? 安倍流処世術、軽さの原点 とありました。興味を惹いたので、その中の一部を以下に引用します。 乳母に語った「宿題やったよ」の「ウソ」 安倍首相の小学生時代の話である。 政治活動で多忙な父・晋太郎氏(元自民党幹事長、1991年死去)と、夫の地元・山口にいることが多かった母・洋子さん(92)の代わりに、東京で晋三少年の面倒を見ていたのが乳母の久保ウメさんであった。 「ウメさんは数年前に亡くなられたと聞いていますが、かつて私の取材にこんなことを言っていたんです。小学校低学年の時のこと。夏休みが終わりに近づくと『晋ちゃん、宿題は終わったの』とウメさんが聞く。そのたび、晋三少年はしれっと『ウン、終わったよ』と答える。でもウメさんが見ると、夏休みの絵日記やら何やらが真っ白。仕方なく、ウメさんがわざと左手に鉛筆を持って宿題をやってあげた、と言います」と振り返るのは、ジャーナリストの野上忠興さん(79)(共同通信政治部記者として、72年から永田町を取材。晋太郎氏の番記者を長く務めた。ウメさんや若き日の首相らのインタビューをもとにした「安倍晋三 沈黙の仮面」(2015年)などの著書で、首相の人物像に迫ってきた) 「政権を不祥事が襲うたびに、首相はさらっと『責任を痛感しています』と言いますね。この姿に、私は先ほどの『宿題やったよ』としれっとウソをつく晋三少年の姿がダブるんです。ここが原点というか……」 ここが原点とありますが、まさに、ではあります。この癖、私もそれを持ち合わせていました。同様、小さい頃、思わず平気に嘘をついてしまった覚えある諸兄であれば、頷きを覚えるのではないでしょうか。普通、学校に通い、社会人となって、それの通らぬことを痛感、正直こそ処世の理と思うようになるのが通常です。が、首相はそうならなかったのかもしれません。もう何年も前、AERAに安倍総理の生い立ち特集を読んだことがありますが、今日、毎日新聞・吉井記者の記事をして、改めて心理学の分野に於ける虚言癖のことを思いました。 閑話休題。今日、高校野球は大分の独自大会準々決勝でした。ベスト8に進出した佐伯鶴城は昨春の甲子園でベスト4になった強豪明豊と対戦。それをネット中継で観戦。なんと1対0で勝利しました。明豊は昨秋の九州大会で優勝、その時の準優勝は大分商業でした。余談です。私、佐賀県の球場にその大会を観戦しました。明豊・大商の選手、顔ぶれを覚えています。 さて、そういうことで明豊、大分商業、両校とも今春の選抜大会に出場が決まっていました。しかしコロナ禍で甲子園大会は中止。その代替として4ヶ月後の来月中旬、選抜大会に選ばれた全国32校が兵庫・西宮に集い、各校1試合のみ甲子園の土を踏んで対戦します。慮った褒美が用意されているのです。が、それとは別、今開催の独自大会で、大分商業は2回戦敗退、明豊も8強止まりとなりました。甲子園予選でない地方大会で負けてしまうと、予定の檜舞台もちょっぴり興醒めに感じます。組み立てられたフレームの中、勝ち上がってこそ盛り上がるのですが、前座で躓くと、どうも調子が悪いです。賞味期限を過ぎたるが如し。棚が落ちます。いえ、決してそれが悪いというのではありません。全てコロナ禍のなせる所為なのですが。さても高校野球、前評判と違う結果の出る醍醐味があります。それが明豊対佐伯鶴城の試合でした。 おい、トラ、お前もそう思わないか。 思わん。それより、はよブラシしてくれ。おーよしよし。 折角だからちゅーるをあげよう。お前、これを好きだからなぁ。 午後4時を過ぎて雨が小降りとなりました。着替えて走りました。以下はカメラン写真です。1枚目は蝸牛です。雨上がりの農道に幾匹も這い出していました。踏まないよう、下を見ながらでした。 白粉花が咲いていました。黒い実の生るのが特徴です。花言葉は「臆病」だそうです。 黒いトンボがいました。調べたらハグロトンボでした。一部地域では「神の使い」と言われているそうです。見かけたら縁起がいいとも(未確認)。 鬼灯の写真を再掲します。向こうに緑の山といいコントラストだったので。 今日の折り返し地点は時々掲載の「ほおじろの里」でした。Mやんの山小屋です。集落から離れた林道の途中にポツンと一軒です。電気を引いています。中にオーディオ。JAZZを聴くようです。今日は池に隣接の東家に座り、鯉に餌をやっていました。彼曰く 「おお、Hちゃん(私のこと)か、お前も運動が続くのうよい。汗びっしょりじゃーねーか。こん暑ぃーにぃ。えっ、儂か?今日ぁおまい、4連休ん後じゃろーが。懈怠ぃーきぃ、よこーたんよ。こん鬱陶しいねぇ仕事なんかしちょらるるか。ほいてからのぅよい、K坊(先日亡くなりました)ぁ早かったのぅ。元気ぃなっちょったねぇのぅよい。Hちゃんよい、気をつけなぁいけんど。えっ、飲みよるかっち?あんまり飲まんぞ。ほじゃーけんど、やるときゃー激しゅうやるわい。こないだ、Sと飲み歩いたけんど、あいたぁー化けもんじゃーわい。ようついていかんかった。歳ぅとると弱ぉーなるなー仕方がねーわい。えっ?こん櫟(くぬぎ)か?そうじゃったそうじゃった。はよー切っちくりぃ。焚きもんにもてかえってくりーの。頼んだわい。ほいたらの」 彼、NのMやんは私より4つ年上。建設会社の現場監督ですが、定年を過ぎ、嘱託勤務。そろそろリタイアを考えているようでした。 家に戻りシャワー。大相撲の終盤を観戦しながら冷酒を舐めました。村祐を抜栓しました。新潟の甘露です。爽やかな中にも腰の据わった生酒でした。 今夜のメインは冷やし中華。右左、違う味でした。半分ずつ、分け合って楽しみました。バタンキュー。 今日の一句 閑人の庵斯くあり梅雨の空 今日のラン 7km 今日の酒 冷酒2合 今日の写真は動画です。雀や鶸を威す大きな鳥に似せた凧です。竿の先とを糸で繋ぐと、風に舞うのです。私のランコースです。
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