カテゴリ:日記
Saturday, October 19, 2024 昨日、弊社の決算認定を受ける株主代表の会議が終了しました。水曜日から昨日まで2日半、缶詰でした。営業成績の有無を指摘されることを予想、各営業部は準備に怠り無しが求められます。 ところで、株主を迎えての会議には、ジンクスのようなものがあります。緻密にチェック、備え十分だと質問がありません。鷹揚に構えていたら質疑に立ち往生。そうなると目も当てられません。弊社、地方にある会社ですが、株主や取引先に対するサービスとして、会議をネット配信していますから、面目丸つぶれになります。 ということで、それの終わるとやれやれ、一段落の気持ちになります。昨日がそうでした。よし、花金だし、折角なので魚喜家に突っ込んで一杯やるとするか。しかし、そういうわけにはいきません。一昨日から妻不在。父の世話と杣夫の非協力的態度を立腹、逃げられました。家に戻り、父の面倒をみないといけません。エヘヘ。赤嘘です。 妻は、劇団四季のチケットと東京の滞在を娘にプレゼントされました。半年前からの予定でした。2泊3日、親爺のおさんどんと洗濯掃除から離れての小旅行。楽しんでくれたらいいな。昨夜は娘と息子、3人で会食したようでした。 ということで杣夫はその間、父の食事を誂えました。といってもほとんど全て、3日分を妻が作りおいてくれました。杣夫はチンして運ぶだけ。頭が下がるというか、上がりません。写真はその彼女が拵えた栗の渋皮煮です。甘さ控えめ、一昨日の朝食後、ペロリやってしまいました。 さて木曜日、午後5時を過ぎ、Y新聞のH記者が杣夫の話を聞きたい、やって来ました。俳優・西田敏行氏の訃報に関連して、でした。もう何年も前、杣夫のまちに「釣りバカ日誌」のロケ隊がやって来ました。まちを挙げての歓待をしました。弊社にロケの支援室ができました。杣夫は短期間、その組織の係長を拝命。名刺の肩書きは「釣りバカ係長」懐かしい思い出です。あれこれ西田氏のエピソードを話しました。明けての金曜、その新聞の社会面に杣夫の懐述が小さく載り、嬉しかったです。次の写真は当時、部屋の前に掛けていた看板です。杣夫が鉋を掛け、字を書いて提供しました。ロケ隊離佐の折り、その看板に俳優の皆さんがサインをしてくれました。「バカ」の文字横、右のそれが浜ちゃんのサインです。その下が竹内力氏、さらに下が常盤貴子さん、左は三國連太郎さん。山本太郎氏はこの日不在でした。余談です。監督や映画を支えた方々のサインも裏にあります。 ネタ切れです。写真は昨日金曜日の夕刻、会社に来客あり。その方々が持ってきたノンアルの甘酒です。 ここで説明を以下に。 杣夫の暮らすまちは、少子高齢化、人口減少、過疎の波に洗われる地方都市です。今後、集落にあって各世帯は隣近所の関係が希薄となり、暮らしにくい社会になる恐れがあります。現にその傾向です。それを防ぐ為、共助の役割を帯びた組織、概ね中学校区単位、合併前の旧町村を単位としてコミュニティ組織を立ち上げる取組を進めています。しかし、それは弊社の押しつけであってはなりません。弊社が、自ら考え、必要と考える株主の皆さんの取組に対し、人とお金をもって支援するというフレームです。 説明が長くなりました。お見えになったのは、その取組に関し、先行するA地区の皆さんでした。自主財源を確保するため、その地域に栽培の無農薬米を使い、甘酒を拵えたとのことでした。一口頂きましたが、とても柔らかい舌触りでした。これ、ふるさと納税の返礼品として使えそうです。なにせ無農薬米を使っていますから。 戻ります。花金も家飲みでした。酒保が底を突き、いつものスーパーでこの手を買いました。刺身もパックもの。これまで妻不在の折もトラがいて、一緒してくれていました。二日間、夜を一人で過ごし、改めて彼の死んだのを実感。寂しさが身に沁みました。オビが帰ってこないかな。 明けての今日は、杣夫のまちの戦没者追悼式。喪服を着、雨の中を出かけました。佐伯市の戦没者は4,178人です。社長、来賓、遺族代表がそれぞれ哀悼の言葉を述べました。それぞれの中に反戦平和と昨今の焦臭い、いや既に生じている戦渦への憂いが含まれていました。皆さんに続き、杣夫も献花しました。祭壇に白菊を手向けるとき、サイパン島で戦死した伯父のことが頭を過りました。私も、遺族と言えば遺族なのです。
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