なな猫ほーむの「顔」だった、草太の一生ものがたり
今年、1月11日に亡くなった草太の一生ものがたり、ようやく書いてやりたいと思います。以前は、猫たちが死んで数日中にはそれが書けていたと思うのですが、近年とみに、それが難しい。。画像が多いと整理が大変というのもあるにはあるのですが、年を経るにつれ、わたし自身が猫たちの死を受け入れるのに時間がかかるようになってきてます。そういう意味では、今も、近年亡くなったひかりや苺や桃太郎、その前の小雪やかおるあたりからまだそこらにいるように思えて死が現実にならないというか。。とにかく、草太の一生、もう、書いてやりましょう。 とてもわかりづらいのですが、これがわたしと草太との最初の出会い。忘れもしません、2005年の5月の連休ごろのこと。ミクシーの里親さがしコミュニティでこの写真で里親というか、保護してくれる人を探していた方がいて、ほんとにわかりづらいけど、茶トラ二匹と黒っぽいサビ猫の、この3匹が品川の海のそばの公園にいるという話でした。(これはその方撮影の写真です)当時住んでいた高輪に近く、そのころは車もあったので、近いんじゃ?くらいの軽い気持ちでわたしとオヤジで出かけていきました。結局、子猫5匹と母猫の6匹いたのですが、うちで写真の3匹を引き取り、他の3匹はボランティアの方が保護。当時わたしは全くの猫保護素人で、キャリーさえ持って行かなかったのです💦捕れるだけワーッと手で囲い込んで、そのまま車に入れて連れて帰ったのでしたさあ、ここからはうちの写真です。3匹の子猫には、当時、「海・空・小雪」と仮名をつけてました。茶トラが海と空で、どっちがどっちか今では不明です(;'∀')当時、ケージもなく、今思えばお恥ずかしいばかり昭和スタイルの猫飼いでしたので段ボール箱に子猫を入れて世話し始めたのですが、なんとその箱に、自らすぐ入って「お母さん」をしてくれたのが、写真のかおるでした。かおる自身、まだ1歳にもならず、子育てをしたこともないのに天性の「母親」でした(笑)サビ猫の小雪と、たぶん「草太」のほう。このかわいさ。国宝級ですねおなかがパンパンですが、このころスポイトでミルクを飲ませていて、3匹のうち、草太が一番食いしん坊で、他の2匹を来るな来るなと押しのけて、他の子の手を噛んだりして、自分だけミルクを飲もうとして欲張ってたのを思い出しますおかげで、一番大きな体に成長しました。野良猫あがりで、慢性の風邪をひいていて、目やにで、ぐちゃぐちゃでした。(でも子猫たちも逃げなかったし、 ママ猫もすぐ保護されたので、 捨て猫だったのかもしれません。 ママ猫も他の兄弟も きっと幸せになったと思います)かおるママ 「もうこの子はいうこと聞きなさい おうちにはいるのよ」 かおるのお姉ちゃん級のひかりも、 1歳にならないくらいだったけど 子猫たちとよく遊んでくれました。 かおるママと草太。 片目がつぶれてます。 ちょっと大きくなったころ、 得意の「バンザイねんね」で。 これ、みんながするわけじゃなくて、性格でしょうか、草太はいつもこのバンザイねんねで寝てましたね。 ひかりに甘える草太。 ひかりはよく、こんなにして遊んでくれました。しっぽに気づいて、子猫たちが寄ってきます。 ひかり「困ったこどもたちねえ」 「こら」 大人になった草太と、ママをしてくれたかおる。大きくなった息子と母です。かおるが成猫としては小柄でおだんごしっぽで丈が短いので、よけい差が目立ちますね。三匹いた子猫は、一匹の茶トラだけ里親譲渡できました。「三つ葉」と名付けられたその子は幸せな猫生を過ごして、2019年に亡くなりました。(里親さんが知らせてくださいました)草太と小雪はかわいすぎてわたしが譲渡できなくなり💦そのままうちの子になりましたわたしもまだ猫保護の新米で、譲渡精神が甘かった(-_-;) 赤ちゃん時代をすぎ、すくすく育つ、草太と小雪の兄妹です。 この子は、草太と小雪が成長してきたころはじめて「保護猫」として預かった子で、「小春」と名付けました。草太は小春が大好きで、よくこうして抱き着いていましたっけ。この下の子は成猫ですが、目黒の保護ボラ・H賀さんの保護猫で、うちで預かることになって「桃」と名付けました。草太は、この桃のことも大好きでした(桃は結局うちの子になりました) イケメン風な、思春期くらいの草太(笑) 草太と小雪。 草太と桃。 草太と小雪。 仲良しで、 いつも一緒に育ちました。この子は「りんご」と仮に名付けた保護子猫です。いま「千代丸」として幸せに里親さまと暮らしています。 誰とでも仲良くなる草太なのでした。 これは、「白黒3兄妹」の子だったか。。草太が成長していくうちに、うちではたくさんのたくさんの保護猫を次々と預かり、里親譲渡していきました。こういう白黒兄弟も何組か預かったので、パッと見にはわかりません💦 これはたぶん目黒保護の「きなこ」かなあ。子猫の箱に自ら入って世話し始めたかおる、そのかおるに育てられた草太は、自分のあとにうちに来たたくさんの保護猫たちとすぐにうちとけ、仲良しになってくれました。かおるの、すべてを受け入れ、惜しみなく自分を与える素晴らしい性格を草太も育てられながら受けついでくれたのかなと思います。人でも猫でも、親とか育ててくれた人の生き方って、大事ですね。育てられたほうは、知らずに受けついでいくのですね。 おまけ画像・・かおるです。 誰よりも小柄な猫のかおるは、なな猫ほーむの基礎を作ってくれました。よく、先住猫が新入りを受け入れないので二匹目を飼えないとか保護できないとかいいますが、うちでは本当にそこがラッキーでした。2004年にかおるを保護し、自分より後の保護猫たちをかおるが全部世話してくれて、赤ちゃんが来ると育て、緊張している成猫には、ここは怖くないよと寄り添ったり、ビビりのあまり狂暴になってる子にも近づいて、パンチを食らったりしてもへこまずまた近づいたりして😢わたしが新猫を保護しやすいようにずっとずっと、2019年に死ぬまで本当にわたしを助けてくれました そしてこの子たち、新之介、草太、桃。かおるをそばで支えるトリオです(笑)新之介も、戸越で子どものときに保護されて、かおるに育てられ、今度は新之介が、男ながら赤ん坊猫を育てるようになりました育てた子猫はゆうに50匹を超えます桃は成猫で来て、はじめビビっていましたが、かおるが近づいて友達になってやり、うちに慣れてしまいました。(その後14歳で死ぬまでうちの子でした) 赤ちゃんの草太を育てたかおるが こんなに小さい。 だんだん男らしく、オヤジくさくなっていった草太。筋骨隆々としていて、誰よりも大きな体になりました。頭も大きくて、顔が丸くて目と目の間が離れており、頭蓋骨がでかい!とお医者に褒められて?いました ある時期の、ごはん風景。死んでしまった子がいっぱいいます。譲渡され幸せになった子もいます。草太はたぶん、一番右かな。同じ茶トラも何匹も預かったので。。 うちのオヤジ(旦那)と草太。 戸越保護でうちに来た新之介とは1歳違いで、本当に兄弟のように育ちました。新之介はブサカワですがこどものときに病気になり、そのままうちの子になりました。いま、空の上で草太に会えているかな。。 狭くても二人が幸せ💛 肉球を見せてくれる草太。 山梨保護の、光を抱っこする草太。光は、産んだ子猫を畑に埋めるという鬼のような家からレスキューされうちでお預かりした子猫で、のちに広尾のやさしいご夫婦に譲渡でき、昨年、幸せな一生を終えました。 草太らしさがよく出ている写真。口のまわりが大きくて、犬みたいなんです。 草太の指吸い。右手の親指を吸います。赤ちゃんのときからやめられない癖。 「ちょっとだけヨ~」の草太。ここからは、2019年に千葉に越してから。 三毛のくるみちゃんと。 苺にもたれる草太。 歯が抜けてるので変な顔。 茶トラトリオ。風太、なずなちゃん、草太です。同じ茶トラだけど、顔も模様も、実は全部違うんですよね。風太は2010年に文京区で保護。すごいビビりで、ビビりのあまり狂暴になるタイプ。でも草太には最初から心を許しました。草太の、全然怖くない、攻撃心のないオーラがわかるんでしょうね。 山形保護の花ちゃんにガン飛ばされてびびってる草太。 年は10歳以上、花のほうが下なのに。。目を伏せて負け 帽子も似合ってました(;'∀') まだ苺が元気だっだ頃。 ストーブ前で苺と寝ていて、桃太郎が来て、草太の背中でモミモミ。これはよくいわれる按摩とかじゃなく、赤ちゃんのときの、ママのおっぱいを思い出す行動、あったかい、ふわふわのものにやります。桃太郎も、ほんとに草太を慕っていました。 もう、このへんは最近。おととし、晴ちゃんが小田原から来て、すぐ草太とも仲良くなりました。二匹は同じ年齢でした。その晴ちゃんも、草太の後を追うように先日亡くなりました。草太が寂しくて呼んだのかな😿 オヤジが秋葉原で買ってきた大好きなぬいぐるみと。顔の大きさ、同じだね。 この「指吸い」は、ある意味、草太のトレードマークです。 一日に何度も、抱っこ抱っこと来て、こうして右手の親指を吸います。左手は、わたしのおなかとかを触っています。赤ちゃんポーズそのものです。これを毎日毎日、19年間、本当に毎日やりました。 指吸いをしなくなったら死ぬときかもね、と言っていました。死ぬ少し前に、本当にしなくなって、もうすぐ死ぬなー、、と思っていました。(この指吸い動画もあって、 実はそれを探したんですけど 結局どうしてもみつからなくて このブログを書くのが遅れていました) これは本当に最近、去年の写真ですね。去年夏に保護した子猫たちとごはん、(子猫といってももう中猫だけど)右の足が白くて体が黒は、晴爺、その右の白黒は、いじわるゆめちゃん。 去年夏に保護した「ののか」も草太に甘えてました。ののかもとても良い方に譲渡できました。 花と草太。 大好きなぬいぐるみのトラちゃんをはさんで、晴ちゃんと草太の爺さん二人。 オヤジのおなかに晴爺、足の間とかごちゃごちゃいます。草太は左のチェアに。 子猫たちやくるみちゃんと、草太。 子猫の真夏と、草太。真夏はビビりで、野良猫保護なので家の中の生活に慣れるのに時間がかかりました。でも、家にいた成猫が怖くない草太だったので本当に助けられたと思う。 わたしの膝にゆめがいて、その周り、左に草太、右にれんちゃん。ゆめの目がちょっと病気です。 向こうに真夏も。これがまた、みんな茶トラなんですよね(笑) 左にゆめが寝てて、右に草太、その上に乗ってるのが晴爺。 これは、右に真夏、その上に晴爺がまた乗ってる。草太の顔つきが、ちょっと変わり始めてます。このあたりから体の具合が悪くなってきたのだと思います。去年の冬くらいから、草太の感じがだんだん変わっていきました。わたしは、なんか危ないなと感じてて、なんだかせかされるように草太の写真をたくさん撮ったんですよ。いま撮っておかなければ、、って気がして。そして年賀状も、いつも作るの大変で今年はやめようかとも思ったのですが、草太の写真をみんなに見せなければ、今のうちにお見せしなければ、、って気がどうしてもして、草太のこれらの写真を入れて、年賀状をつくりました。「19歳になるけど、まだまだ元気です」って感じのことばを入れて。。 この写真なんか、毛づやが悪くて、なんか体の具合が悪そうな。 草太のことをみんなに覚えててもらいたいというか、、高輪のころから、猫保護の仲間や、ミクシーで知り合った、動物好きの友達がよく遊びにきてくれて、みんな草太のことを知っている。かおるとともに、草太はみんなに愛されて、草ちゃん面白い顔だね、草太でっかいね、ってみんなに可愛がってもらってた。そんな草太、まだまだ元気です、というか元気でいてほしいとそんな気持ちで、これらの画像をいろいろ入れて年賀状を100枚くらいお送りしました。 年末に、足をひきずるようになり、そのずっと前からお腹も壊していていつも下痢なので薬をもらっていました。年末ギリギリにいつもの病院に連れていき、足になにか刺さって腫れてることがわかり、ほかにも病気があるかもしれないけど、検査して何か判明しても年齢を考えて治療できないかもだから検査はしないでとりあえず対症療法ということになり、薬だけもらって帰ってきました。 顔つきが急にかわってきた草太。でもそれから、病院がストレスだったのか結局歩けなくなって、よろよろ、フラフラしてトイレに行くまでにやってしまうので、そのままオムツになってしまいました。ちなみに、わたしは猫にオムツをするのは草太が初めてです。今まで亡くなった子たちは、そんな事態になるまでに死んでるので。。 このオムツは犬用でちょっと大きいのです。あわててオムツを買いにいき、わたしも動転してたんでしょう、犬用しか目に入らずひとまず買って、あとで猫用の小さいのも買いました。 ガリガリにやせて目もくぼんでて、苺が死ぬ前と同じで、何年も前に死んだ奈々も死ぬ前、急速にこんな顔になったのでわたしは死を覚悟しました。草太はとうとう死ぬんだなと思いました。こうなってくると、わたしは一旦、悲しくなくなっていきます。なぜだか、自分でもよくわかりません。認めたくないのか、何なのか、とにかく死の瞬間まで世話に必死になってしまうので涙も出なくなります。動物を飼ってる皆さんもそうでしょうか。。 顔つきが本当に変わってしまいました。 草太のトレードマークともいえる、まるい広い顔、まんまるの目、口まわりの犬みたいな大きさ、そんな顔がなくなってしまい、かわりに表れた、落ちくぼんだ目、なくなった表情、 毛づやも悪くやせ細った、骨ばったすがた。骨が太く、大きかっただけに、痩せさらばえた感じがかえって強調されてます。 そんな草太に乗っかる晴爺(-_-;) 二匹の後ろにいるのは、やはり晴ちゃんと一緒に小田原から来た陽ちゃん。お爺さん3人組ですが、陽ちゃんのほうが2歳若い。でも、いまどんどん痩せてきてて、次は陽ちゃんか、と言ってます一匹2匹くらいしか飼わない方にはそんなことは起きませんが、たくさん保護しているボランティアの家ではやっぱり次々に亡くなるし、お骨もたくさん安置してたりするんですよ(うちは今ほとんどプランター葬ですが) 年末から年始にかけて、ほんの1週間ほどで、草太は急速に衰えてしまいました。それまで、毎日毎日、うちで買う100円ローソンだけで売ってる、「うまいにゃんジャンボ」という猫缶を一人で一缶食べる勢いで、ちょうだいちょうだいとせがんでいたのに次第に食べなくなってしまい、仕方なくad缶の強制給仕を始めましたが、いつもあとで後悔するのですが無理に食べさせなければよかった。嫌がるものを無理やり口に入れる、あげてるこちらも辛いし、食べさせられてる猫はもっと苦しい。人もそうだけど、動物が死に瀕して自然の摂理として食べなくなってきたときそれに従って自然に任せるべきだと、そう思うようにはなったのですが、実際、猫が死にそうになると、持ち直すかもしれないと思ってしまってどうしても強制してしまいます😿 30日に病院に行ってから、毎日毎日、下の世話とオムツ替えと、ご飯を食べさせることと、薬と、また苺のときのように点滴、毎日、毎日、やれるかも、もしかしたら持ち直すかも、そう思ってやってました。でも、無理でした。草太は、そんな体になっても、足をひきずって、夜はわたしの布団に入ってきて朝まで布団のなかで一緒に寝ました。わたしが布団を敷くのを待って見てて、片付けが終わってわたしが布団に入ると、はいる~、と体を起こして布団に入ってきました。1月11日の夜中、12時から2時すぎまで、断続的にずっとウンチが出続けるので、わたしは起きて、お尻を拭いたりオムツを替えたりしていました。その日、よくごはんを食べてくれたのでウンチがすごくたくさん出て、いつまでやるの、っていうくらいウンチが出続けました。オムツを替えても替えても出るので、何枚もオムツを替えました。2時半を過ぎて、もういいかな、落ち着いたかな、となったので、草太を抱いて布団に入りました。布団の周りでは、5チビやゆめや花が寝て、布団の中には、草太のほかにくるみちゃんも入ってきて、みんなで寝ました。そして朝7時頃目が覚めてハッと見たら、わたしの腕のなかで、草太が冷たくなっていました。数日前から、朝目覚めると草太をパッと見て、死んでない!?と確かめていたのですが、11日の朝、目が覚めてみたら、もう固くなっていました。たぶん、眠りについてからほどなくして眠るように死んだのかなと思います。全然、苦しむとか啼いたり、動くということもなく、わたしの腕の中で静かに息を引き取ったのでした。 13日に、庭の、3つ目の大プランターに埋葬しました。 左上のプランターには、過去に高輪で亡くなった7匹の骨と2021年にここで亡くなったひかりが埋葬されています。古い骨は、もうすっかり土になっています。その右となりのプランターには、一昨年亡くなった苺と桃太郎が。そして右の、紫やオレンジのパンジーが今真っ盛りになったプランターに草太を埋葬し、その直後、3月に急死した晴ちゃんも草太の上に埋葬しました。 このパンジーたちの下に、仲良しだった草太と晴ちゃんが今もまた仲良く眠っています。 プランターの向こうには鉢植えですけど河津桜を植えています。今年も、早咲きでよく咲いてくれてピンクの花びらが下で眠る苺や草太の上に舞っていました。草太は本当になな猫ほーむの「顔」で、遊びにきてくれる方たちが皆さん、うちに猫を見にきて、他のビビりの猫が隠れるなかでかおるや新之介や苺とともに、草太は必ず出てきて穏やかにお客様を迎えるので、皆さん喜んでくれました。この特徴ある顔と、猫一倍大きなからだつきで人も猫もいやしてくれました。これ👇よく「なな猫ほーむ」のタイトル画像に使う写真なんですけど👇若いときの写真ですが、草太の特徴がよく出ていて、本当に、草太というと、この顔で、結構ありそうでない猫顔でした(笑) そして、草太といったらこの「指吸い」で赤ちゃんから保護してずっとわたしがママで、死ぬまで、オムツになるまで毎日毎日指を吸って甘えてくれました。いつか別れがくる、いつかいなくなってしまう、それは十分にわかっています。わかっていても、その日が来るのが怖いし、ついにその日が来ても、なかなか受け入れられません。時間の経つのを待つしかないのでしょう。こんなかわいい赤ちゃんのときからずっと育ててきた草太。兄妹仲良く、いつも小雪と一緒でその小雪も、千葉に越す少し前に亡くなりました。実質、草太を育ててくれたかおるとはいつまでも母親のように甘えていました。そのかおるも2019年に亡くなってしまいました。自分のあとに保護された新之介とも実の兄弟のように育ち、次々と保護される子猫たちを一緒に世話してくれました。 苺も、生後一か月の赤ちゃんでうちに来たので、草太を慕っていつも一緒にいました。 ふたりでギュウギュウで水を飲む、草太と苺。苺は一昨年の10月に腎不全で亡くなってしまいました。今ごろ、空の上の猫の国で会えているかな。。おとなしいくるみちゃんも草太に甘えていました。草太が全然怖くないので、怖がりの子もみんな草太を慕っていましたね。くるみちゃんはエイズキャリアで、口内炎がひどくなって、先日とうとう抜歯したのですがまだ12歳。草太の分も長生きしてほしいです。下から見ると特にかわいい草太の顔。手も猫一倍大きくて、肉球はピンクでしたよ!牙が抜けてからは、ますますおかしげな顔に。でもそこがかわいかった。 オヤジくさい顔。政治情勢でも解説しそうな(笑)この顔こそ草太の顔です そして草太の「指吸い」。この20年近く、200匹近く猫を預かり、世話してきましたが、こんな子ひとりもいません。赤ちゃんのときにやる子はいますが、こんな、19歳までやる子はいません(笑)また自分ひとりでやっても、必ずわたしに抱っこされて指を吸う子はいませんでした。草太は、いつまでもわたしの「赤ちゃん」です(>_<) 草太、草ちゃん、特にこの数年、いつ死ぬか、もう死ぬかって心配してたけど、とうとう本当に死んじゃったんだね、あまり長い間草太と一緒に過ごして、赤ちゃんのときから19年も見てきてほかの子が次々死んでいくなかでも草ちゃんだけはいつまでも元気でもうこのままずっといられるんじゃないかってそんな気さえしてたけど、やっぱりそんなことはなかったね。オムツになってもからだもしんどいのに、足も引きずってるのにママのお布団に入ってきて、一緒にねんねしてくれてありがとう。嬉しかったよ。もっと長く、オムツの草太を世話したかった。もっともっと、草太のオムツを替えたりご飯を食べさせたりしたかったけど草太のからだがそこまで続かなかった。もう、からだがしんどかったんだね。草太はママに苦労かけまいと2週間くらいで永眠してしまったのかな。 草太、さよなら。 草ちゃん、草ちゃん、 さよなら草ちゃん。 19年前、ママとオヤジのところに来てくれて、 ありがとう。