1711917 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

非常に適当な本と映画のページ

非常に適当な本と映画のページ

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

PR

Keyword Search

▼キーワード検索

Calendar

Freepage List

Category

カテゴリ未分類

(339)

洋画

(279)

邦画

(85)

邦書

(140)

洋書

(57)

ニュース

(734)

DVD

(8731)

Comments

Favorite Blog

まだ登録されていません
2018.07.07
XML
カテゴリ:洋画

 ゲームソフトを原案としたSFアクション。
 ゲームソフトの世界をほぼそのまま踏襲している。
 原題は、ゲームソフトと同じくAssassin's Creed(暗殺者の信条)。


粗筋

 死刑囚のカラム(マイケル・ファスベンダー)に、刑が執行される。薬物が投入され、死に至った。
 ……と思ったら、カラムは目覚める。見覚えが無い場所にいた。アブスターゴ社がスペインで運営する矯正施設にいる、と知らされた。
 ソフィア・リッキン博士(マリオン・コティヤール)が、彼の前に現れる。人の暴力性を無くし、平和な世の中を確立するには「エデンの果実」という物体が必要で、それを手に入れるには、アサシン教団の血を引くカラムの力が必要だという。
 カラムは状況が呑み込めないまま、遺伝子記憶の再現装置「アニムス」に接続される。15世紀のスペインを生きるアサシン教団の一員で、彼の先祖であるアギラールの半生を追体験させられる。
 アブスターゴ社は、カラムから、アギラールが知っている筈の「エデンの果実」の行方を掴もうとしていたのだった。
 カラムは、アギラールの半生を体験する事で、「エデンの果実」の行方を掴む。後にアメリカ大陸を発見する事になるコロンブスに渡していたのだ。コロンブスは、墓にまで持って行く事を約束し、「エデンの果実」を託されたのだった。
 アブスターゴ社は、アサシン教団と対立するテンプル騎士団が運営していた。
 テンプル騎士団は、コロンブスの墓を暴き、「エデンの果実」を回収。アサシン教団から奪い返せた、と勝利を宣言する会合を開く。
 その前に施設から脱走していたカラムは、他のアサシン教団の子孫と共に会合に乱入。テンプル騎士団の指導者を殺し、「エデンの果実」を奪う。
 カラムは、アサシン教団の一員として、テンプル騎士団から「エデンの果実」を守る為、その場を去る。



感想

 ゲームソフトの映画化はこれまで何度も試みられているが、成功したと思われるのはほぼ無い。
 成功していると思われるものは、大抵ゲームソフトの世界を大幅に改変していて、タイトルのみが同じ、という状況になっている。
 ゲームソフトはあくまでもゲームソフトに留まっているからこそ面白い様である。

 本作は、ゲームソフトの世界に可能な限り忠実に沿っているらしい。
 ゲームソフトでプレーした事がある者からすれば設定やキャラは分かり易いのかも知れないが、そうでない者からすると何もかもが初体験となる。
 そんな事もあり、ゲームソフト体験者からすると無駄な説明が多過ぎでストーリーのペースがとろく感じ、非体験者からするとあまりにも説明が無さ過ぎで置いてきぼりにされる。

 何よりも分かり難いのが、何故テンプル騎士団が「エデンの果実(作中では「エデンのリンゴ」として語られている)」に固執するのか、という事。
 手に入れる為に莫大な投資をし、犠牲を払っていくのだが、手に入れた所で何が出来るのかが、さっぱり分からない。
「アニムス」という訳の分からない装置を開発・運用する程の技術力があるなら、「エデンの果実」とやら実行力が不明な物体を追い求めるより、その高い技術力を使って普通にビジネスを展開していた方が余程楽に「世界を支配(金儲け)」出来るだろうに、と思ってしまう。

 登場するキャラは、主人公のカラムを始め、どれも一癖も二癖もある者ばかり。
 そういうキャラは描き方がきちんとしていないと(必ずしも善人として描く必要は無い)、感情移入出来なくなり、そのキャラが大活躍しようと途中で死のうと、どうでも良くなってしまう。
 本作は、キャラが数多く数多く登場するが、どれも描かれ方が中途半端。主人公のカラムですら、単に他のキャラと顔が判別出来る程度に登場して、バタバタ動き回っているだけ。
 あえて最小限に描く事で、感情移入出来ないようにした感じ。
 下手に描いて共感され難いキャラにするくらいなら、感情移入出来ないキャラにしてしまった方が良い、という考えだったのかも知れないが……。
 キャラへの興味は勿論、ストーリーへの興味も失わせる効果をもたらしている。

 原作がそうだから回避しようが無かったのだろうが、キリスト教文化に傾倒し過ぎているのも問題。
「アダムとイブ」「エデンの楽園」はユダヤ教、そしてそこから派生したキリスト教やイスラム教にとっては重要なのかも知れないが、それ以外の文化圏では何の意味も無い。
 キリスト教信者らがギリシャ神話を単なる物語としか認識出来ないのと同様(古代ギリシャ人にとってギリシャ神話は宗教だった筈)、聖書の出来事も他宗教の者からするとただのフィクションに過ぎない。
 要するに、ヒンズー教(そしてそこから派生する仏教)の地で「エデンの果実」を見せびらかして「世界を支配する力がここにある!」と豪語しても、誰も共感せず、効果も発揮しない。
 したがって、欧米以外では、本作を公開しても、観客が本心から楽しめない。
 世界中の人々が同じ様に理解出来ない作品は製作すべきでない、という事は無いが、それなりの根回しをしておかないと、集客力が見込めなくなる事は理解しておくべき。








お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2018.09.08 00:00:20
コメント(0) | コメントを書く
[洋画] カテゴリの最新記事


■コメント

お名前
タイトル
メッセージ
画像認証
別の画像を表示
上の画像で表示されている数字を入力して下さい。


利用規約に同意してコメントを
※コメントに関するよくある質問は、こちらをご確認ください。



© Rakuten Group, Inc.