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カテゴリ:乗り鉄
川端康成の小説「雪国」でも有名な清水トンネルは、全長9702mで1931年に開通している。
開通前までは、関東と新潟地方への往来は、直江津経由の信越本線、または、郡山経由の磐越西線が利用されていたが、清水トンネルの開通により、大幅に距離と時間が短縮された。工事の着工が1922年であり、9年の工期と48名の殉職者をだして完成している。長大トンネルのため、蒸気機関車は走行できず、開通当初から電化されている。 私が趣味で列車に乗り始めてから、幾度となく清水トンネルを利用しているが、今回、清水トンネルと新清水トンネルの見学をかねて、小学校5年生と2年生の子供とともに出かけることにした。 関東と新潟を分断する三国山地を貫くトンネルを、先人たちがいかに苦労して造りあげたか知ってほしかったのある。 清水トンネルは、上越線の上り線として供用されており、普通列車は1日4本から臨時列車を含めると多くて7本程度である。このなかで、土合駅から新清水トンネル経由で土樽駅にでて、折返し土樽駅から清水トンネルを通過して湯檜曽駅まで戻ってくるのに適した時間が確保できるのが1日1回、午前中だけある。 まず、土合駅から、468段の階段を下り、新清水トンネル内の、土合駅ホームへ到達。下るのは子供の足でも、比較的容易である。 上越線下り普通列車が到着する。この日は、4両編成であった。車掌が乗務しているので、土合駅から、土樽駅への乗車券大人1枚、子供2枚を所望する。乗車券の購入は、社会勉強のため、子供にやらせた。トンネル内なので、声が聞き取りにくいようだ。 前回、私が訪問したときは、待避線があったが、現在は待避線の場所に新たなホームが作られている。 ここまで資材を運ぶのは大変だったろうと想像される。写真には待避線の上に張られた架線が残されているのがわかる。 新清水トンネルは、清水トンネルの開通36年後の1967年に開通している。土木技術の発達により、トンネルが長く掘られているため、関東側の入り口は、湯檜曽駅下りホームとなっている。 轟音をたてながら、およそ8分で上越側の最初の駅土樽駅に到着する。 当駅も、待避線をなくし、かつての本線上に列車が停止する。 土樽駅の駅舎内には、かつて上越線がにぎやかだったころの写真が掲載されている。 産業遺産に指定されたことを示す銘板が、土樽駅のホームにあった。 10分ほど、土樽駅に滞在したあと、上り列車に乗り換える。 清水トンネルの土樽側の坑門は、撮影することができなかった。清水トンネル内には、列車交換用の茂倉信号所があり、1984年まで使用されていた。このため私は、列車の最後部に乗って真っ暗なトンネルの中でじっと目を凝らしていた。ポイントを高速で通過する音が聞こえたため、ここだろうという見当はつくが、目視で捉えることはできなかった。 清水トンネルの高崎側の坑門。車内からは撮影できないため、別の日に撮った写真がこちら。 土樽駅の上りホーム。宿泊したキャンプ場から撮影。 土合駅から先、湯檜曽駅までは、ループ線となっている。以下は動画からのキャプチャ。 子どもたちには、指をさして、これからトンネルをとおって、そこに見える線路に降りていくと説明したが、線路がみえるのはほんの一瞬である。 湯檜曽駅上りホームに到着すると、先程乗っていた線路が山腹にみえる。そのあたりが、旧湯檜曽駅である。 湯檜曽駅の下りホーム(新清水トンネルの高崎側の入り口) 前回2007年に訪れたときは、駅舎があったが、現在は解体されてしまった。 この看板は、当時からあり、私の記憶にも残っていた。 湯檜曽駅に到着。 小学2年生の娘の感想は、「足がつかれたけど楽しかった。」であった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2023.07.08 07:34:51
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