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テーマ:美術館・博物館(1508)
カテゴリ:美術館・博物館
ニューヨーク『メトロポリタン美術館』12世紀~18世紀ヨーロッパ美術630展示室には 巨匠「ヴァンダイク」と「ルーベンス」の作品が厳かに・・・並びます(^-^)♪ THE METROPOLITAN MUSEUM OF ART GALLERY630 Peter Paul Rubens(ルーベンス) Flemish,Siegen 1577-1640Antwerp The Holy Family with Saint Elizabeth, Saint John, and a Dove,ca.1608-9 「セイント・エリザベス、聖ヨハネとハトと一緒の聖家族図」 ルーベンスがローマから、アントワープに戻った直後に描かれたと思われます。 そこで、彼は、アーリー・バロック運動の主要な熟練者の1人になりました。 ハト(聖霊のシンボル)のモチーフは、 イタリアの作品で見つかって、キリストの最終的な犠牲に言及します。 ピーテル・パウル・ルーベンス Peter Paul Rubens ・・・とは?
諸外国までその名声を轟かせたバロック期を代表する画家。 修行時代に風景画家フェルハーヒト、アダム・ファン・ノールト (ルーベンスの後に続くフランドル絵画の巨匠ヤーコブ・ヨルダーンスの師であり義父でもある) ファン・フェーンと三人の師から絵画を学んだ後 1600年から1608年までイタリアで、 ミケランジェロの肉体表現、 ラファエロやマンテーニャの古典思想的表現、 ティツィアーノ、ティントレット、ヴェロネーゼ等 ヴェネツィア派からの豊かな色彩による画面構成 コレッジョからの甘美的表現など ルネサンス芸術を研究する一方、 イエズス会とも接触を図る。 イタリアでの滞在で一気に才能が開花し、 社交性もあったルーベンスは、 ヴェネツィアの外交使節として、 名画を寄贈するためスペインへ向かうが、 途中大雨により名画を濡らしてしまう。 しかしルーベンス自身がそれを修復。 その出来栄えの良さに スペイン国王は勿論イタリアの貴族からも賛辞を受けた。 1608年、当時アントワープを統治していた ハウスブルク家アルブレヒト大公夫妻に宮廷画家として仕え、 ヴァン・ダイク、ヤン・ブリューゲルらと共に次々と作品を制作してゆく。 総作品数は約1200点と膨大な数が残っているが、 大半は工房作品か他作家との共作。 ルーベンスの画家としての優れた才能や 洗練された友好的な態度によってイザベラ大公妃を始め、 フランス王妃マリー・ド・メディシスや フェリペ四世など当時の権力者とも交友関係を築き、 使節として国交の正常化に尽力を尽くすほか、 歳の離れたスペインバロックの巨匠ベラスケスとも交流を持つ。 またカラヴァッジョの『キリストの埋葬』(模写作品)や ティツィアーノの『ヴィーナスへの捧げもの』(模写作品) レオナルド・ダ・ヴィンチの現在は失われた大作『アンギリアの戦い』など、 ルーベンス自らが描いた巨匠たちの模写も数多く残されている。
Peter Paul Rubens(ルーベンス) Flemish,Siegen 1577-1640Antwerp A Forest at Dawn with a Deer Hunt 「鹿ハントによる夜明けの森」 ほとんど彼自身の喜びのために 自然と色とタッチは、ティチアーノの影響を受けました。
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