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「きらりの旅日記」

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ほしのきらり。

ほしのきらり。

カテゴリ

2018.01.15
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カテゴリ:美術館・博物館
​​​​​​​​ヴァチカン美術館『ラファエッロの間』第3室は、署名の間であります。何と言っても一番有名な壁画は「アテネの学堂」


【世界遺産】ヴァチカンを代表する壁画のひとつ「ラファエッロ」の代表作で


自筆でありますヨ~これだけは、覚えて下さいねスマイル


Musei Vaticani Stanze di Raffaello Stanza della Segmatura Scuola di Atene

人物が、いっぱいですね~さて誰が、描かれているのでしょうね?


きらりのわがまま『ヴァチカン旅日記』アテネの学堂


ラファエッロの間 第3室 署名の間  Stanza della Segnatura


「アテネの学堂」Scuola di Atene


理性の心理・・・でありますヨグッド


何しろ一番有名(^0^)と言っても過言ではありません!!


それは、ヴァチカン美術館のチケットの印刷(2017年11月14日現在)

「アテネの学堂」の中央部分 ・・・2枚


二人のおじ様が描かれております上向き矢印上向き矢印


哲学者「プラトン」と「アリストテレス」でありますちょき


「アテネの学堂」は、


古代の有名な


科学者や人文学者が


豪華なラインナップで描かれておりますスマイル


正確には、分からない人もあるのですが


古代ギリシアの哲学者に


当時のルネッサンスを代表する画家たちを


ラファエッロが描いたのであります。



大笑いはははっ。


プラトンとアリストテレス名前は、勿論、知ってますが・・・


「哲学」はははっ大笑い本当は、ちょっと !?


「アテネの学堂」中央、一部分

ほしのきらり。カメラ撮影


プラトン(左)・・・とは?

 上矢印
右手を挙げて人差し指を立てた(頭髪が薄いのが)プラトン

モデルは「レオナルド・ダ・ヴィンチ」だと言われていますハート(手書き)

大笑いなるほど~、確かに似ていますよね~音符


プラトンについて

(ウィキペディアさまより)

プラトンプラトーン

古代ギリシャ語: Πλάτων、Plátōn、羅: Plato

紀元前427年 - 紀元前347年

古代ギリシアの哲学者である。

ソクラテスの弟子にして、

アリストテレスの師に当たる。

ディオゲネス・ラエルティオスによると、

プラトンの本名はアリストクレスである。

プラトンの思想は

西洋哲学の主要な源流であり、

哲学者ホワイトヘッドは

「西洋哲学の歴史とはプラトンへの膨大な注釈である」

という趣旨のことを述べた。

『ソクラテスの弁明』や『国家』等の著作で知られる。

現存する著作の大半は対話篇という形式を取っており、

一部の例外を除けば、プラトンの師であるソクラテスを主要な語り手とする。


プラトンは、

師ソクラテスから問答法(弁証法)と、

(「無知の知」や「行き詰まり」(アポリア)を経ながら)

正義・徳・善を理知的

かつ執拗に追求していく哲学者(愛知者)としての

主知主義的な姿勢を学び、

国家公共に携わる政治家を目指していたが、

三十人政権やその後の

民主派政権の惨状を目の当たりにして、

現実政治に関わるのを避け、

ソクラテス死後の30代からは、

対話篇を執筆しつつ、

哲学の追求と政治との統合を模索していくようになる。

この頃既に、

哲学者による国家統治構想(哲人王思想)や、

その同志獲得・養成の構想(後のアカデメイアの学園)は温められていた。

40歳頃の第一回シケリア旅行にて、

ピュタゴラス学派と交流を持ったことで、

数学・幾何学と、

輪廻転生する不滅の霊魂(プシュケー)の概念を重視するようになり、

それらと対になった、

感覚を超えた真実在としての「イデア」概念を醸成していく。

帰国後、

アカデメイアに学園を開設し、

初期末・中期対話篇を執筆。

「魂の想起(アナムネーシス)」

「魂の三分説」「哲人王」

「善のイデア」といった概念を表明していく。

また、パルメニデス等のエレア派にも関心を寄せ、

中期後半から後期の対話篇では、

エレア派の人物をしばしば登場させている。

後期になると、

この世界そのものが神によって

イデアの似姿として作られたものであるとか、

諸天体は

神々の「最善の魂」の知性(ヌース)によって動かされているといった

壮大な宇宙論・神学的描写が出てくる一方、

第一回シケリア旅行時に

シュラクサイのディオンと知り合ったことを縁として、

僭主ディオニュシオス2世が支配する

シュラクサイの国制改革・内紛に関わるようになったことで、

現実的な「次善の国制」を模索する姿勢も顕著になる。

なお、後述するようにレスリングが得意であったらしい。

また、パンクラチオンを

「不完全なレスリングと不完全なボクシングが一つとなった競技である」

と評したことも知られている。

・・・以上プラトンのッ説明・・・


「アテネの学堂」中央の一部分

ほしのきらり。撮影


アリストテレス(右の人)・・・とは?

(ウィキペィアさまより)

アリストテレス

アリストテレース

古希: Ἀριστοτέλης - Aristotélēs、羅: Aristotelēs

前384年 - 前322年3月7日

古代ギリシアの哲学者である。

プラトンの弟子であり、

ソクラテス、プラトンとともに、

しばしば「西洋」最大の哲学者の一人とされ、

その多岐にわたる自然研究の業績から

「万学の祖」とも呼ばれる。

特に動物に関する体系的な研究は

古代世界では東西に類を見ない。

イスラーム哲学や中世スコラ学、

さらには近代哲学・論理学に多大な影響を与えた。

また、マケドニア王アレクサンドロス3世(通称アレクサンドロス大王)の

家庭教師であったことでも知られる。

アリストテレスは、

人間の本性が「知を愛する」ことにあると考えた。

ギリシャ語ではこれをフィロソフィア(Philosophia)と呼ぶ。

フィロは「愛する」、

ソフィアは「知」を意味する。

この言葉がヨーロッパの各国の言語で

「哲学」を意味する言葉の語源となった。

著作集は

日本語版で17巻に及ぶが、

内訳は形而上学、倫理学、論理学といった哲学関係のほか、

政治学、宇宙論、天体学、自然学(物理学)、気象学、

博物誌学的なものから分析的なもの、

その他、生物学、詩学、演劇学、

および現在でいう心理学なども含まれており多岐にわたる。

アリストテレスは

これらをすべてフィロソフィアと呼んでいた。

アリストテレスのいう「哲学」とは

知的欲求を満たす知的行為そのものと、

その行為の結果全体であり、

現在の学問のほとんどが

彼の「哲学」の範疇に含まれている。

名前の由来は

ギリシア語の aristos (最高の)と telos (目的)から 。

・・・資料・以上・・・


は~ぁスマイルもやもや


ややこしい「哲学者」


不安に思って居た疑問は、解決ですグッド


が、まだ哲学者は、いっぱいなのです(つづく)

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最終更新日  2018.01.15 08:28:48
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