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「きらりの旅日記」

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ほしのきらり。

ほしのきらり。

カテゴリ

2018.09.08
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カテゴリ:美術館・博物館
​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​パリ​​『ルーヴル美術館』3階リシュリュー翼フランドルの絵画を鑑賞したのは2018年4月28日(土)午後のこと手書きハート

北方ルネサンス風景画家の先駆者『ヨアヒム・パティニール』


宗教画と逸話の中間の興味深い・・・作品でありますグッド


きらりのわがまま「パリ旅日記」・・・第126回


​​ヨアヒム・パティニール『砂漠の聖ヒエロムス​』​​

Joachim PATINIR
Bouvignes(Belgique actulle),vers 1474‐
Anvers(Belgique actuelle),1524

Saint Jerome dans le desert
Huile sur bois,vers 1515‐1524


ヨアヒム・パティニール・・・とは?
Joachim Patinir

初期フランドル派の画家

現在のベルギー南部・ワロニア地方の出身

1480年‐1524年10月5日没

歴史絵画、風景絵画を多く描く

フランドルの風景画家「ヘッリ・メット・デ・ブレス」の叔父ではないか?

北方ルネサンス風景画家の先駆者とされている。

パティニールは・・・

現在のベルギー「ディナン」か?「ブーヴィーニュ」の生まれ

1515年、アントワープ「聖ルカ芸術家ギルド」の一員として登録

同年、「ブルッヘ」でギルドのメンバーとして登録

「ヘラルド・ダヴィット」とともに修行?

1511年、パティニールは、

「ダヴィット」、「アードリアン・イーゼンブラント」とともに

イタリアのジェノヴァへ旅する。

1521年、2回目の結婚式に友人「アルブレヒト・デューラー」出席

パティニールの肖像画を描いている。

テューラーは、

パティニールのことを「素晴らしい風景画家」と呼んでいた。

パティニールの作品には・・・

広大な風景に小さな人物を描いた物が多く

なかには、風景の身パティニールが描き

人物は、他の画家が描き加えることもあった。

このような「分業」は、

ネーデルランド絵画では、普通になりつつあった。

パティニールの作品は・・・

前世代で同じく広大な風景画を描いた「ヒエロニムス・ボス」など

当時のネーデルランドの絵画に比べて大きなものが多い

パティニールの描く広大な風景画は・・・

自然の詳細な観察と

抒情的な幻想を融合させたもので

もっとも好適な例として

アントワープ王立美術館の『エジプトの逃避』がある。


ヨアヒム・パティニール『砂漠の聖ヒエロムス​』

宇宙的規模の広大な風景画の例である上向き矢印象徴的な細部・・・おとめ座ほしのきらり。撮影

霊的な岩と、生きた水源としてのキリスト

羊飼いとしてのキリストなど・・・

意味深いですスマイル

物語的な細部は・・・

聖人により癒されたライオンが描かれている。

ユノスマンスは、自身が所有していたこの作品を賞賛している。


絵画の領域で・・・

15世紀においてもっとも注目すべき出来事のひとつは、

後に目覚ましい発展を遂げることとなる♪新ジャンル♪

風景画が「ネーデルランド」において徐々に登場してきた事。


アントウェルペンの画家「パティニール」は、

我々が、「風景画家」と呼ぶことのできる最初の画家であり

デューラーその人も彼に対してこの表現を使って居る。


ルーヴルの作品には・・・上向き矢印

パティニールの風景画の特徴が全て備わっているグッド

平原、岩、川などによってリズム感が与えられた広大な眺め

そしてこれら全てが青緑の繊細な色階によって統一されている。

奥行は・・・

奥に行くに従って次第に明るくなる色彩により際立たせられている

景色の重なりによって「空気遠近法」を暗示しております。

この手法は・・・

「パウル・ブリル」や「ヨース・ド・モンペル」といった画家により

16世紀全体に渡って繰り返し用いられ

当時のイタリアにも伝えられることになる。


もっとも頻繁に用いられる構図は、

薄暗い全景および、緑色の色調の後ろ景

そして青い背景から成っている。


聖ヒエロニムス・・・とは?

大グレゴリウス、アウグスティヌス、アンブロジウスと共に

四大教父の一人に数え挙げられるグッド


340年頃、ダルマティア地方、もしくはヴェネト地方で生まれ

ローマの有名な文法学者「ドナトゥス」のもとで学び

洗礼を受けた後、聖地に向けて巡礼を試みる。

その後、改悛し隠遁生活を送るため

シリアの砂漠にこもった。

382年、再びローマに戻り

そこで教皇ダマスス1世から

ヘブライ語の原典とギリシャ語のを基に

聖書のレテン語翻訳(ウルガータ聖書)の校訂を委ねられる。

聖人は・・・

教皇の死後ローマを後にしたが

聖書の翻訳は、パレスチナで完成し

その地で、420年に亡くなっている。

彼は、神学者と学識者の守護聖人であるグッド


砂漠で隠遁生活をおくっていた際の・・・上向き矢印

仮住まいの掘っ立て小屋に身を置く「聖ヒエロムニス」を描いている。

聖人は、謙遜の色である灰色のチュニックを纏い

罪によって干上がった魂を象徴する枯れ木の側にいる。

木の根元には・・・

枢機卿の衣類が置かれている。

人物像、空飛ぶ鳥を目で追っている左側に見える犬といった

逸話的な細部、

その他さまざまな動物、

右側の小さな町などが作品に活気をもたらしている。

その単なる審美的意義ばかりが強調されるきらいのあるこの風景は、

実は・・・

それが神の創造のもっとも明白な現れを成しているという点において

この作品の宗教的意義を伝えるための

積極的な役割を果たしているのである。

なるほど~確かに深いですおとめ座

・・・つづく・・・

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最終更新日  2018.09.08 00:10:11
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