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「きらりの旅日記」

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ほしのきらり。

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2019.05.30
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カテゴリ:美術館・博物館
​​​​ロベルト・カンピン?『メロードの祭壇画』と同じテーマの美しい「受胎告知」がブリュセル王立美術館・古典美術館で出会う事ができましたスマイルスマイル2019年4月10日先月の事。平成最後の旅でありました♪


​きらりのわがまま『ベルギー旅日記』・・・第33回​


ブリュッセル王立美術館 古典美術館【70展示室】


手書きハートロベルト・カンピン?手書きハート
MEESTER VAN FLEMALLE
(RONERT CAMPIN?)
?ca.1375-Doornik 1444

DE BOODSCHAP AAN MARIA L’ANNONCIATION

『受胎告知』


初期フランドル派の「ロベルト・カンピン」が描いたと思われる


『受胎告知』


ベルギー・ブリッセル王立美術館所蔵のこの作品は


おそらく特別注文に寄って描かれたと推測されます。


ですから『メロードの祭壇画』の受胎告知の


別バージョンかと思われます。


ニューヨーク・メトロポリタン美術館には、


ほぼ同じテーマの『メロードの祭壇画』


左右翼を持つ、三連祭壇画を所蔵しております。


こちらは、カンピンの作品?


もしくはカンピンの弟子との共作である可能性があります。


『メロードの祭壇画』は、1957年まで、


ベルギーのメロード家に所蔵された事が由来であります。



ブリッセル王立美術館2階「古典美術館」の作品には・・・


両翼が見当たらず・・・別バージョンであると思われます。


しかし、ロベルト・カンピンが描いた絵画の中で


最もよく知られた作品テーマであります。



家庭的な雰囲気にあふれた室内描写と


窓越しに見える都市の風景描写とで構成されている。


遠近法を用いた狭い空間構成に配された


主要人物以外の家具や花瓶など


調度品に見られる現実的描写に


当時の庶民生活を強く感じます。


また、明瞭な輪郭線や油彩による


豊かで鮮やかな色彩を用いるなど


各部において、それまで金色を主体としていた


ゴシック様式とは、全く違う新しい描き方を始めたのであります。


このような表現手法で


初期ネーデルラント絵画は独自に展開、発展した


伝統の基礎を築き上げた最初のカンピンの代表作であります。


ブリッセル王立美術館・古典美術館【70展示室】受胎告知・拡大


カンピンの『受胎告知』


この作品は、教会や修道院ではなく


個人の注文によって描かれたと考えられます。


このモチーフは「受胎告知」であります。


(右)聖母マリアが書物に目を落としたままの姿です


(左)大天使ガブリエルが降臨して来ましたが


マリアは、その出来事に気付いて居ない事から


マリアが神の子の受胎を告げられる直前の場面を描いたものであります。


この場面は、一般の家庭の一室の中に描かれております。


これは、聖なる告知を世俗である一般家庭で受ける!?


というありえないスティエーションで描くという


見た事も無い絵画であります。これは、


注文主の依頼により、聖なる空間を世俗的に描いており


カンピンは・・・


一般住宅を聖なる部屋に変える工夫をココで凝らします!


世俗を神の世界に変える・・・それはミラクルでありますが


カンピンの見事な工夫とは、


テーブル中央には、大きな本がっ「聖書」を置き


テーブルの上には・・・「白い百合の花」


受胎告知に度々、描かれる百合の花は、


マリアの清純と純潔を意味しております。


聖なるお子を聖なる体で受胎するという説明です。


テーブルの右側の燭台には・・・


蝋燭があり、たった今炎が消えたばかりで


「神は光である」と言う宗教観を中世ゴシックのままに伝え


その蝋燭の光が消えた瞬間に


神のお子は、マリアのお腹に入るその時


マリアは、受胎されたとされる


清く聖なる物語を


この世俗の家をカンピンの見事な工夫で


神の世界「受胎告知」を描き


注文主の期待に沿う絵画に仕上げたのであります。



カンピン・・・とは?

ロベルト・カンピン
Robert Campin


1375年頃~1444年4月26日没

初期フランドル派、最初の偉大なる画家とされ

フレマールの画家・・・との異名がある。

カンピンの記録は、当時としては比較的に明らかでありますが

何しろ大昔の事ですから

カンピンの作品であると確定できる作品は、

現在1つも無い!証明されていないという事。

これは100年以上にわたって論議の的となっている。


カンピンの生涯は・・・

親戚がヴァランシエンヌにいたとされる。


カンピンの名前が最初に現れるのは・・・

1405年の記録で、

画家のギルド聖ルカ組合に所属する

トゥルネー在住の画家となっている。


1410年、トゥールネーの市民権を購入していることから

カンピンは、トゥールネー出身ではないかと考えられる。


後にギルドの理事となり大規模な工房を運営し

他にも教会委員や近隣の都市の管理職などの地位を得た。


1432年ころに政治的混乱を引き起こしたとして

これらの社会的地位を失ってしまう。


1429年、証拠隠滅を図ったとして、巡礼を強制されており

1432年、密通で有罪となり一年間の追放処分を受けた。

この時は、ブルゴーニュ公ジャン一世の妹で

バーヴァリア公ヴィルヘルム二世

公妃マルグリット・ド・ブルゴーニュが介入し

罰金刑に減刑されている。


現在2枚の両翼だけがプラド美術館に所蔵されている

『ウェルル祭壇画』には、1438年の日付が入っており

以降もカンピンが画家として活動していたことを示している。
(一部・資料=ウィキペディア様より)


ZUID-NEDERLANDSE SCOOL
ca.1400

TAFERELEN UIT HET LEVEN VAN MARIA

SCENES DE LA VIE DE LA VIERGE

マリアの生涯からのテーブル

画面は、暗いですが・・・板に描かれたマリアの生涯と思われます。

近づいて観ると金箔が多く使われております。

ゴシック様式の特徴的な宗教画であります。


カンピンより前の宗教画は、聖人に金を使う手法でありました。

・・・つづく・・・



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最終更新日  2019.05.30 00:10:11
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