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カテゴリ:美術館・博物館
今日は、オランダ・アムステルダム郊外オッテルローまで飛んで行きましょう現在新型コロナで休館中ですが・・・公園の中にある静かな環境に『クレラー・ミュラー美術館』があります
ゴッホ『アルルの跳ね橋』1888年 『アルルの跳ね橋』ラングロワ橋 1888年3月 油彩・カンヴァス 53.4cmx64.0cm オランダ・オッテルロー『クレラー=ミュラー美術館』所蔵 クレラー・ミュラー美術館は、2021年1月12日現在 新型コロナウィルス感染拡大防止措置により休館中で残念 ヨーロッパ最大の彫刻庭園のひとつであります。 交通は、とても不便で列車とバスを2台乗り継いで行きました。 オッテルロー『クレラー=ミュラー美術館』 アムステルダム『ゴッホ美術館』と並ぶ ファン・ゴッホのコレクションで知られる美術館です。 フィンセント・ヴィレム・ファン・ゴッホ Vincent Willem van Gogh 1853年3月30日〜1890年7月27日(37歳没) ファン・ゴッホは・・・ 1888年2月22日 南仏アルルに到着します。 日本の浮世絵に見られるような 明るく鮮やかな色彩世界を求めて ファン・ゴッホは、南仏に移り住んだ。 アルルに着いたときは、 一面の雪景色だったが、 春の訪れとともに風景が明るさを増してゆくなか、 この作品は3月に描かれた。 みずみずしい色と空気感、 水面や跳ね橋の質感、 跳ね橋上の馬車や水面の波紋が醸し出す穏やかな動き。 そのような効果が、 たしかなデッサン、色彩、筆触で描き出されている。 そのみずみずしさと透明感において、 アルル時代(1888年2月〜5月) 初期を代表する傑作と言ってよいだろう。 川で洗濯をする女性たちの声と水面の波紋が絵に近寄ると 跳ね橋の上には、幌馬車がコトコト音をたてゆっくりと渡って行きます。 1888年2月22日 ファン・ゴッホは・・・ 念願の南フランスへと向かった。 アルルに着いたのはまだ2月で、 明るい陽光どころか雪が積もっていた。 それでも、ゴッホは・・・ その雪景色を見て「日本のようだ」 と書き記している。 季節が巡り・・・ 春の兆しとともに、 彼のカンヴァスも眩しいほどの輝きを放ち始める 1887年、1888年は、ファン・ゴッホにとって特別な そして、おそらく最も幸福な時期であったが。 パリ時代の後半から アルル時代の前半にわたるこの2年間はユートピア時代!! この時期、彼は・・・ 「日本」と「日本人」をモデルに芸術家のユートピアを夢想し、 芸術家の共同体を実現しようとする。 それは、他人の目には、子どもじみた夢以外の何ものでもなかった。 この共同体に加わったのは、 ゴーギャンひとり。 しかも、共同生活は、 悲惨な結末とともに崩壊することになる。 しかし、それでも「夢」は画家の心を支え、 画家に恐ろしいほどの霊感と力を授けた フェン・ゴッホの言葉 「僕らは、日本の絵画を愛し、 その影響を受けている。 このことは全ての印象派画家に つまり日本にあたる南フランスへ 行かずにいられようか」 (1888年6月、ゴッホの書簡500) 弟:テオから、妹:ウィルへの手紙 「フィンセントは、前日の日曜日、 南へ旅立ちました。 まずアルルで様子を見て、 それからおそらく マルセイユへ行くでしょう。(・・・) 2年前に彼がここに来た時、 僕たちが、これほど強く結びつくとは 思っていませんでした。 というのも、アパルトマンに ひとりになって今、 全く空虚な感じがするからです。 誰かを見つければ、 一緒に住むこともできるでしょうが、 フィンセントのような人間の代わりを 見つけるのは容易ではありません。 彼は、信じられないほど多くのことを知り 世界に明快な視線を向けています。 だから僕は、彼があと何年か生きられれば きっと名声を得るだろうと思っています。 (1889年2月24日) (参考資料:東京美術、もっと知りたいゴッホより) (参考資料:小学館、100%Van Goghより) (写真撮影:ほしのきらり) ゴッホに日本を見せてあげたかったですね〜 1888年、当時の日本は、明治21年ですが お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021.01.12 00:10:09
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