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「きらりの旅日記」

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ほしのきらり。

ほしのきらり。

カテゴリ

2021.03.26
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カテゴリ:美術館・博物館
​​​​​​​​​​​​​​​​​ポール・ゴーギャンの作品には、果実を収穫するポーズを度々、見かけることができますね〜果実の収穫で意味することは・・・りんごアダムとイヴの楽園追放?


緑ハートゴーギャンの失われた楽園とは?緑ハート


『果実の収穫』1897年​

油彩 92.5cmx73.3cm

【第二次タヒチ時代】

サンクトペテルブルク「エルミタージュ美術館」所蔵。


ポール・ゴーギャン(ゴーガン )
​Paul Gauguin​

1848年6月7日〜1903年5月8日(54歳没)​


緑ハート​​緑ハート​ゴーギャンの手紙​​​緑ハート

「オセアニアの単純な生活を知ってから

 私は人間どもから遠くに

 つまり名誉から

 遠く離れることしか考えていない。

 出来るだけ早く。

 野蛮人たちの中に

 自分の才能をうずめに行くつもりだ」

​ (1894年7月 ポン=タヴェン シュフネッケル宛)


「私は固い決心をした。

 オセアニアに永住するため、

 フランスを去る。

 12月にパリに戻ったら、

 どんな値段でもいいから、

 自分のものすべてを売り払うつもりだ

 一切だ。」

 (1894年9月 モンフレー宛)


Flowers and a Bowl of Fruit on a Table,1894


1895年2月(47歳​47点の作品を競売するものの、

 売却は、9点のみ(ドガが2点購入)

​4月​ 国民美術協会サロンに『オヴィリ(野人)』を出品するが

 拒否される(シャブレの尽力で受理)。

​7月初め​ マルセイユを出港船ダッシュ

​9月​ 船タヒチ島パぺーテに到着。

​11月​ プナパウイヤに住む家

 前回、同棲した「テハマナ」を呼び寄せるが

 夫の元に帰ってしまうしょんぼり


1896年(48歳)​​現地の娘「パウラ」と同棲を始める。​

 骨折した足の状態が悪化ショック

 梅毒による体の衰えも進むショック

​7月​ パペーテの病院に入院病院

12月「パウラ」が子供を産むが直ぐに死亡。


1897年4月(48歳)​長女:アリーヌ の死。

​5月​ 新しい家とアトリエを建てる家​​​​​​​​​​家体調悪化。

​12月​ 大作である

『我々は何処から来たのか?我々は何者か?我々は何処へ行くのか?』

 を制作。ヒ素を飲んで自殺を試みるが、未遂に終わる。


1898年(50歳)​「ノア・ノア」自筆版などの制作と執筆。

​11月​ パリのヴォラール画廊で

 ゴーギャンの近作展「我々は何処から・・・」展示。

1899年4月(51歳)​パウラは、男児を出産。

​6月​ 現地の「雀蜂(レ・ゲープ)誌に寄稿。

​8月​「微笑(レ・スーリール)」を刊行。現地政府などを批判、


1900年2月(52歳)​「雀蜂」の主筆を依頼される。

 第5回『パリ万国博覧会』


『カヌー』1896年

​1895年7月​ ゴーギャンは再びタヒチに向かう船


前年の秋には葉決心を固めたようだ。


タヒチ作品を発表した個展の反響も思わしくなく、


渡航費を工面するための競売も不成功だった。


足の骨折と体調の悪化涙ぽろり


家族との決定的な離別涙ぽろり


4年前の出発では期待も大きかっただろうが、


今回は、失意の中での旅立ちだったと言わなければならない。


なぜ、ゴーギャンは・・・

再びタヒチに行くことにしたのだろうか?​

​​​​​

それは、描くために他ならない。


前回ほどの意欲は持てなかったものの、


熱帯の地でしか、制作は考えられなかった。


ゴーギャン自身は・・・


そこで「文明化された野蛮人」に過ぎないとしても


「野蛮人の中」でこそ、彼の才能は発揮される。


「野生」(「西洋」と対比されるものとして)を求め


人間存在の根源に立ち戻るためには、


「タヒチ」という場所が必要だったのである。


ゴーギャンにとって「タヒチ」は・・・

「失われた楽園」だったと言われる。


だが、その「失われた」という語は、二重の意味を持つ。


​ひとつは・・・​タヒチが植民地強化に伴い、


次第に文明化され、固有の歴史や文化を失いつつあったこと。


​もうひとつは・・・​
アダムとイヴの楽園追放から


人間の歴史が始まった以上(西洋の人々にとって)


楽園はそもそも「失われた」ものでしかありえないということだ。​


ゴーギャンは・・・


これら二つの喪失をよく知っていたのだろう。


​むしろ「失われた」という状態にこそ、​


​人間が何者であるのかという「問い」が生まれるのである。​
​​​​​​​​​​​​​


『我々は何処から来たのか?我々は何者か?我々は何処へ行くのか?』
(一部分)


中央で手を挙げてりんご果物を採る人物上向き矢印


最初にタヒチに赴く前の手紙では、


「手を挙げて果物を採る」動作は、


熱帯の豊かさを示していた。


一方、この絵では・・・


イヴが摘む知恵の樹の実、


つまり人間の歴史の始まりを暗示する。


ところで、この人物は男と女、どちらなんだろう!?


男性のように見えるものの、性差は抑えられている。


(参考資料:東京美術もっと知りたいゴーギャンより)
(写真撮影:ほしのきらり。)

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最終更新日  2021.03.26 00:10:08
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