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「きらりの旅日記」

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ほしのきらり。

ほしのきらり。

カテゴリ

2021.12.03
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カテゴリ:美術館・博物館
​​​​​​​​​​​​​​​​​​ファン・ゴッホは、南仏アルルで耳切り事件を起こし病院生活。ロートレックはパリで都会生活を謳歌するのであります音符

スマイル​​ゴッホロートレック同時進行のお話​​​​スマイル



フィンセント・ヴィレム・ファン・ゴッホ
​Vincent Willem van Gogh​

1853年3月30日〜1890年7月29日(37歳没)


1889年、ゴッホ(36歳)1月7日、​退院。

しかしアルルの人々は、彼を全く狂人としてみる。

2月、発作の再発のため入院。

4月17日、​弟=​テオはオランダで結婚式を挙げるダブルハート

間もなく、ついに黄色い家を開け渡し、

描きためたかず多い作品をテオ宛に送る。

5月、ゴッホみずからの希望によって、

サン・レミの精神病院に移った。

病院内では制作が認められ、

しばらくして野外制作も許された。

この時期、テオから送ってもらった

レンブラントやドラクロワやミレーの

原画による版画がゴッホを勇気づけた。

7月6日、1日だけの許可を得てアルルへ行く。

そこに残してあった荷物を整理するためである。

サン・レミに帰って2〜3日後、激しい発作におそわれた。

葉になって、ようやく元気を回復したが、

この頃になると、北へ帰りたいとの気持ちが日増しに強まる。

9月、パリの「アンデパンダン展」に、テオによって

『ローヌ川の星月夜』ほか1点が出品される。


11月、ブリュッセルの「二十人会展」に出品を勧誘され、

また、オランダのある定期刊行物に、

パリでテオの友人でもあったイサークソンが、

はじめてゴッホに関する論文を発表!!

​・・・孤独な先駆者、

来るべき世紀に属する驚嘆すべき画家、​


と、たたえるグッド

クリスマスツリークリスマスにまた軽い発作が起こる。



その年のロートレックは下向き矢印

​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック
​Henri de Toulouse-Lautrec​

1864年11月24日〜1901年9月9日(36歳没)​

1889年、ロートレック(25歳)​

ヴァラドンとの関係は、陽春を待たずについに終わった。

『宿酔い』は、その思い出と別れのメモリアルか・・・。

第5回「アンデパンダン展」に、はじめてその室内情景を描いた

『ムーラン・ド・ラ・ギャレット』を出品。

(この展覧会には、以後1894年まで毎年出品)

ゴッホの弟テオは・・・

グーピル商会のために、ロートレックの作品を何店か買う。

10月5日、ジョセフ・オレールとジドレが、

クリシー通り90番地にキャバレー「ムーラン・ルージュ」を開店。

この年から、この店は・・・

ロートレックとは切り離すことのできない場所になる。

入り口にはロートレックの

『フェルナンド・サーカスにて』1888年作を掲げる。

まこと、パリを中心に、いわゆる

「ベルエポックー良き時代」の爛熟である!!

パリ万博を象徴するエッフェル塔が建築され、

パリそのものが不夜城となる。


前年末のアルルにおける

ゴッホとゴーガンの不幸な共同生活の結末をよそに、

何にでも興味をもつロートレックは、

芸術的にも生活的にも、

このパリの雰囲気を満喫している音符


(参考資料:朝日選書・嘉門安雄著・ゴッホとロートレックより)
(写真撮影:ほしのきらり)



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最終更新日  2021.12.03 00:10:08
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