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カテゴリ:美術館・博物館
ファン・ゴッホは、南仏アルルで耳切り事件を起こし病院生活。ロートレックはパリで都会生活を謳歌するのであります
ゴッホとロートレック同時進行のお話 フィンセント・ヴィレム・ファン・ゴッホ Vincent Willem van Gogh 1853年3月30日〜1890年7月29日(37歳没) 1889年、ゴッホ(36歳)1月7日、退院。 しかしアルルの人々は、彼を全く狂人としてみる。 2月、発作の再発のため入院。 4月17日、弟=テオはオランダで結婚式を挙げる 間もなく、ついに黄色い家を開け渡し、 描きためたかず多い作品をテオ宛に送る。 5月、ゴッホみずからの希望によって、 サン・レミの精神病院に移った。 病院内では制作が認められ、 しばらくして野外制作も許された。 この時期、テオから送ってもらった レンブラントやドラクロワやミレーの 原画による版画がゴッホを勇気づけた。 7月6日、1日だけの許可を得てアルルへ行く。 そこに残してあった荷物を整理するためである。 サン・レミに帰って2〜3日後、激しい発作におそわれた。 秋になって、ようやく元気を回復したが、 この頃になると、北へ帰りたいとの気持ちが日増しに強まる。 9月、パリの「アンデパンダン展」に、テオによって 『ローヌ川の星月夜』ほか1点が出品される。 11月、ブリュッセルの「二十人会展」に出品を勧誘され、 また、オランダのある定期刊行物に、 パリでテオの友人でもあったイサークソンが、 はじめてゴッホに関する論文を発表 ・・・孤独な先駆者、 来るべき世紀に属する驚嘆すべき画家、 と、たたえる クリスマスにまた軽い発作が起こる。 その年のロートレックは アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック Henri de Toulouse-Lautrec1864年11月24日〜1901年9月9日(36歳没) 1889年、ロートレック(25歳) ヴァラドンとの関係は、陽春を待たずについに終わった。 『宿酔い』は、その思い出と別れのメモリアルか・・・。 第5回「アンデパンダン展」に、はじめてその室内情景を描いた 『ムーラン・ド・ラ・ギャレット』を出品。 (この展覧会には、以後1894年まで毎年出品) ゴッホの弟テオは・・・ グーピル商会のために、ロートレックの作品を何店か買う。 10月5日、ジョセフ・オレールとジドレが、 クリシー通り90番地にキャバレー「ムーラン・ルージュ」を開店。 この年から、この店は・・・ ロートレックとは切り離すことのできない場所になる。 入り口にはロートレックの 『フェルナンド・サーカスにて』1888年作を掲げる。 まこと、パリを中心に、いわゆる 「ベルエポックー良き時代」の爛熟である パリ万博を象徴するエッフェル塔が建築され、 パリそのものが不夜城となる。 前年末のアルルにおける ゴッホとゴーガンの不幸な共同生活の結末をよそに、 何にでも興味をもつロートレックは、 芸術的にも生活的にも、 このパリの雰囲気を満喫している お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021.12.03 00:10:08
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