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「きらりの旅日記」

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ほしのきらり。

ほしのきらり。

カテゴリ

2022.07.05
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カテゴリ:美術館・博物館
ルーヴル美術館所蔵の若いイケメンの洗礼者ヨハネは、全体がスフマート技法で描かれています手書きハート

レオナルド・ダ・ヴィンチ
​​Leonardo da Vinci​​
Vinci,1452-Amboise,1519

Saint Jean-Baptiste

『洗礼者ヨハネ』1513年〜1516年頃​

(若き洗礼者ヨハネ)


くるみの板 油彩 69.0cmx57.0cm

パリ「ルーヴル美術館」所蔵。


レオナルド・ダ・ヴィンチ
​Leonardo da Vinci​

1452年4月15日〜1519年5月2日(67歳没)

フィレンツェ共和国ヴィンチ村〜フランス王国アンボワーズ

レオナルドの功績は、鏡文字・音楽・建築・料理・美学

数学・幾何学・生理学・組織学・解剖学・美術解剖学

人体解剖学・動物解剖学・植物解剖学・博物学・動物学

植物学・鉱物学・天文学・気象学・地質学・地理学・物理学

科学・工学・流体力学・水理学・空気力学・飛行力学

飛行機の安定・航空力学・航空工学・自動車工学・材料工学

土木工学・軍事工学・潜水服などの分野に顕著な業績を残す。

【代表作】

『モナ・リザ』『最後の晩餐』『ウィトルウィウス的人体図』


1517年10月​、デ・ベアティスが、

フランスのレオナルドの工房を訪れた時、

彼はそこでおそらく現在の

『ラ・ジョコンダ』と思われる

フィレンツェ婦人の肖像画と

『聖アンナと聖母子』

そして、

『若い洗礼者ヨハネ』

(San Joane Bap.ca giouane)を見ている目


「マリアベキアーノ文書」の逸名記者

(アノニモ・ガッディアーノ)も

「聖ヨハネを描いた(dipinse anchora un San Giouannj)」

と記しているので、

イタリアでもこの絵の情報は流れていた。


画面全体にスフマート技法が用いられており、

強いぼかしによって、

筋や骨の走りは、

脇腹と首の付け根あたりに見られる程度で、

『聖ヒエロニムス』に典型的な

鋭角的な線と深い陰影で刻んでいた

初期の表現からは大きく変化している。

よって、

レオナルドの個人様式の終盤に位置し、

科学的な調査によっても、

顔料層の厚みなどが『ラ・ジョコンダ』などと

よく似ていることが確認されている。

ただ、

本作品は注文契約などの文書記録に欠けるので、

彼の作品群の最終盤に位置する一枚という

以外に断定することはできない。


諸説あるうち、

本作品をレオナルドがローマに滞在していた

1513年〜1516年頃とするブラントの説が

最も多くの指示を集めている。


当時の王冠教皇レオ10世が、

洗礼者ヨハネの称揚をはかっていたことと、

本作品の制作動機を結びつける

ツォルナーらの意見に筆者も賛成である。


実際に王冠教皇は

ラファエッロ工房に命じて、

『若き洗礼者ヨハネ』を描かせるなどしており、

前述のデ・ベアティスが

「若い」とわざわざ記す通り、

レオナルドとラファエッロ工房の作品は、

様式的には似ても似つかないが、

若者としての洗礼者ヨハネ像を描いた点では、

一致している。


そしてこのことは、

幼児期にイエスと戯れる図像を除けば、

ヴェロッキオと共作した

『キリストの洗礼』などに見られるような、

イエスに洗礼を授けた先輩格として

男性的に描かれることが

一般的な洗礼者ヨハネとは大きく隔たっている。


王冠レオ10世の名は、

ジョヴァンニ・デ・メディチ(イル・マニフィコの子)であり、

洗礼者ヨハネが自らと同じ名をもつこと

(ヨハネのイタリア語表記がジョヴァンニ)が、

案外と教皇によるプロモーションの動機だったりする

(そのような例は多い)。


また、先に引用した

「マリアベキアーノ文書」からわかるように、

レオナルドの『洗礼者ヨハネ』は、

イタリアにおいても知られているので、

彼がフランスに行く前に描かれたと考えて良い。


これらのことを合わせて考えると、

本作品の制作年代は、

ここに示した期間におのずと限定されてくる。


作品はその後、

フォンテーヌブローの宮殿に入り、

1625年ルイ13世によって、

ティツィアーノ などの作品と引き換えに、

王冠イングランド王チャールズ1世のもとに送られた。

1649年王は処刑されお化け

本作品を含む彼のコレクションの一部は売却された。

幾人かの所有者を経て、

1661年王冠フランス王室のコレクションに戻り、

今に至っている。

それにしても・・・

『洗礼者ヨハネ』は、実に奇妙な作品である。


背景部分には、

おそらく後世の加筆があるが、

それまで彼がこだわっていた大気遠近法による

風景表現が排除され、

ここでは・・・

闇のなかからミステリアスに浮かび上がる。

暗い背景から、

ぼうっとその姿を現す

洗礼者ヨハネには、髭も無く、

謎めいた微笑みをうかべながら、

巻き毛の長髪をたらした

その顔を傾ける。

体つきも丸みを帯び、

十字架の杖と毛皮こそ

洗礼者ヨハネのアトリビュートであるものの

その姿は、

中性的で妖艶であり、

従来の定型表現からは大きく逸脱している。


作品にしばしば

自らの思想を組み込んできた彼のこと、

これが最後に手掛けた、

いわば​遺作​​と呼びうる作品であるなら、

この作品が​謎めいたものになった理由​があるはずだ。

そしてそれは、

彼が最終的に辿りついた思想に違いない。

そして筆者の見るところ、

おそらくこの図録には錬金術的な思想

その背景にある。

もちろん、

彼は永久機関などの検証によって、

錬金術師たちを明確に否定している。

しかし、

彼が薫陶をうけた

ルネサンス・ネオ・プラトニズムには、

錬金術と親和性のある思想が入り込んでおり、

本作品にも、

その発露を見ることができる。


そしてそのことは、

彼がフランスに根付かせた

フォンテーヌブロー派の美術に影響を与えている。

よって同派の図像を検討することで、

レオナルドの本作品に組み込まれた思想の

存在が逆説的に確かめられるのだ。


(写真撮影:ほしのきらり)
(参考文献:筑摩書房/池上英洋、レオナルド・ダ・ヴィンチ生涯と芸術のすべてより)


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最終更新日  2022.07.05 00:10:11
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