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カテゴリ:美術館・博物館
セザンヌと言えば転がりそうなりんごを思い出しませんか〜
![]() ![]() ポール・セザンヌ Paul Cézanne ![]() 『リンゴとオレンジのある静物』 1895年〜1900年 油彩 カンヴァス パリ「オルセー美術館」所蔵。 セザンヌの静物画は・・・ 構図を追求する上で適した画題だった。 セザンヌは、静物画を1860年台から描いている。 初期のものは、 横一列に食器や果物を配置したものだった。 その後、 全体のバランスを考えながら、 壺やリンゴの配置にこだわるようになった。 ときには、 リンゴの下にコインを挟んだこともあるという。 さらに、 瓶や壺、リンゴや玉ねぎ、 白いナプキンなどのモティーフに集約された。 ![]() ポール・セザンヌ ![]() Paul Cézanne 1839年1月19日〜1906年10月23日(67歳没) フランスのポスト印象派の画家。 【セザンヌのプロフィール】 セザンヌの性格=「気むずかしい孤高の人」と言われた。 家族構成=モデルだったオルタンスとともに暮らし、 息子ポールも生まれましたが、 父には10年以上も秘密にしていました。 結婚したのは、1886年でした。 よく使うモティーフ=プロヴァンス風景を描き続け、 静物にもこだわりました。 よく行く場所=生まれ故郷の南フランス。 交流のあった文化人=作家:エミール・ゾラは親友でしたが、 1886年に彼が発表した小説「制作」がもとで、 交友が途切れました。 尊敬する芸術家=ドラクロワを大いに尊敬しました。 セザンヌと言えば ![]() ![]() セザンヌ作『サント・ヴィクトワール山』 自然は実に複雑な形で、 私の前に現れ、 私はゆっくりと仕事を進めます。 私が成し遂げなければならない進歩には 限りがありません(セザンヌ) 【セザンヌの年譜】 1839年1月19日(0歳)銀行家の父のもと、 エクサン・プロヴァンス(エクス)に生まれる。 1857年(18歳)エクスの市立素描学校で学ぶ。 1859年(20歳)エクスからジャ・ド・ブファンに 父親が別荘を購入。そこに装飾画を描く。 1861年(22歳)パリに出てアカデミー・シュイスに通う。 1872年(33歳)息子のポールが生まれる。 ピサロの勧めで家族とともにポントワーズに移る。 1886年(47歳)オルタンスと結婚する。 父が亡くなる。 1895年(56歳)ヴォラ-ルの画廊で初めての個展を開催。 1906年(66歳)写生中に嵐に襲われ、 ずぶ濡れになったことが原因で、 10月23日にエクスで急逝。 セザンヌと言えば・・・『トランプをする人々』 ![]() 南フランス出身のセザンヌは、 父からの仕送りもあり、 金銭的苦労を知ることなく、 アカデミー・シュイスでの勉強や、 ルーヴル美術館での模写に励むことができた。 若い頃には、 あらゆるジャンルに挑戦していた。 (のちに自らの手でこれらの初期作品を多数破棄してしまった) この頃、 マネを中心とした若い画家たちが、 カフェ・ゲルボワに集い、 さまざまな芸術に関する議論を行っていた。 セザンヌも彼らに合流した。 画家としての転機が訪れるのは、 1872年、ピサロとともに パリ近郊のポントワーズで制作したことにより、 厚塗りの絵の具で、 神話などを主題としていた作風は一変した。 印象派の技法を学び、 明るい色彩を用いて、 細かいタッチで絵を描くようになった。 ![]() 『オーヴェール・シュル・オワーズの首吊りの家』 1873年(明治6年) 油彩 カンヴァス 55.0cmx66.0cm パリ「オルセー美術館」所蔵。 セザンヌは・・・ パリ近郊の町オーヴェール・シュル・オワーズや、 ポントワーズに滞在した。 ピサロとともに戸外で カンヴァスを並べて制作することで、 田園的な主題を厚塗りの絵の具で描くようになる。 ここにあるのは、 晴れた春の日の田園風景である。 高台から見下ろすように描かれた、 わらぶき屋根の家。 自殺者の出た家とされるが、 真偽のほどは定かではない。 小道やわらぶき屋根や石壁などの質感が、 ザラザラとした絵肌であらわされている。 第1回「印象派展」に出品された3点のうちのひとつで、 展覧会での批判はよいとは言えなかったが、 この作品は美術収集家のドリア伯爵によって購入された。 そして存命中に、 画家自身の承諾を得て何度も展示された 数少ない作品のひとつである。 (参考文献:東京美術/印象派絵画の見かたより) (写真撮影:ほしのきらり) ![]() 世界遺産に ![]() ![]() ![]() お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2022.11.05 00:10:09
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