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「きらりの旅日記」

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ほしのきらり。

ほしのきらり。

カテゴリ

2022.11.05
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カテゴリ:美術館・博物館
セザンヌと言えば転がりそうなりんごを思い出しませんか〜スマイルそうそうこれですりんご))

ポール・セザンヌ
Paul Cé​zanne

​『リンゴとオレンジのある静物』​

1895年〜1900年

油彩 カンヴァス 

パリ「オルセー美術館」所蔵。


セザンヌの静物画は・・・

構図を追求する上で適した画題だった。

セザンヌは、静物画を1860年台から描いている。

初期のものは、

横一列に食器や果物を配置したものだった。

その後、

全体のバランスを考えながら、

壺やリンゴの配置にこだわるようになった。

ときには、

リンゴの下にコインを挟んだこともあるという。

さらに、

瓶や壺、リンゴや玉ねぎ、

白いナプキンなどのモティーフに集約された。


パレットセザンヌとは・・・どんな人?​

ポール・セザンヌ
​​

Paul Cé​zanne

1839年1月19日〜1906年10月23日(67歳没)

フランスのポスト印象派の画家。


​【セザンヌのプロフィール】​

セザンヌの性格=「気むずかしい孤高の人」と言われた。

家族構成=モデルだったオルタンスとともに暮らし、

 息子ポールも生まれましたが、

 父には10年以上も秘密にしていました。

 結婚したのは、1886年でした。

よく使うモティーフ=プロヴァンス風景を描き続け、

 静物にもこだわりました。

よく行く場所=生まれ故郷の南フランス。

交流のあった文化人=作家:エミール・ゾラは親友でしたが、

 1886年に彼が発表した小説「制作」がもとで、

 交友が途切れました。

尊敬する芸術家=ドラクロワを大いに尊敬しました。


セザンヌと言えば下向き矢印この山

セザンヌ作『サント・ヴィクトワール山』


自然は実に複雑な形で、

私の前に現れ、

私はゆっくりと仕事を進めます。

私が成し遂げなければならない進歩には

限りがありません(セザンヌ)


​【セザンヌの年譜】​

1839年1月19日(0歳)銀行家の父のもと、

 エクサン・プロヴァンス(エクス)に生まれる。

1857年(18歳)エクスの市立素描学校で学ぶ。

1859年(20歳)エクスからジャ・ド・ブファンに

 父親が別荘を購入。そこに装飾画を描く。

1861年(22歳)パリに出てアカデミー・シュイスに通う。

1872年(33歳)息子のポールが生まれる。

 ピサロの勧めで家族とともにポントワーズに移る。

1886年(47歳)オルタンスと結婚する。

 父が亡くなる。

1895年(56歳)ヴォラ-ルの画廊で初めての個展を開催。

1906年(66歳)写生中に嵐に襲われ、

 ずぶ濡れになったことが原因で、

 10月23日にエクスで急逝。


セザンヌと言えば・・・『トランプをする人々』


南フランス出身のセザンヌは、

父からの仕送りもあり、

金銭的苦労を知ることなく、

アカデミー・シュイスでの勉強や、

ルーヴル美術館での模写に励むことができた。

若い頃には、

あらゆるジャンルに挑戦していた。

(のちに自らの手でこれらの初期作品を多数破棄してしまった)

この頃、

マネを中心とした若い画家たちが、

カフェ・ゲルボワに集い、

さまざまな芸術に関する議論を行っていた。

セザンヌも彼らに合流した。


画家としての転機が訪れるのは、

1872年、ピサロとともに

パリ近郊のポントワーズで制作したことにより、

厚塗りの絵の具で、

神話などを主題としていた作風は一変した。

印象派の技法を学び、

明るい色彩を用いて、

細かいタッチで絵を描くようになった。
 
​『オーヴェール・シュル・オワーズの首吊りの家』​

1873年(明治6年)

油彩 カンヴァス 55.0cmx66.0cm

パリ「オルセー美術館」所蔵。


 セザンヌは・・・

パリ近郊の町オーヴェール・シュル・オワーズや、

ポントワーズに滞在した。

ピサロとともに戸外で

カンヴァスを並べて制作することで、

田園的な主題を厚塗りの絵の具で描くようになる。


ここにあるのは、

晴れた春の日の田園風景である。

高台から見下ろすように描かれた、

わらぶき屋根の家。

自殺者の出た家とされるが、

真偽のほどは定かではない。

小道やわらぶき屋根や石壁などの質感が、

ザラザラとした絵肌であらわされている。


第1回「印象派展」に出品された3点のうちのひとつで、

展覧会での批判はよいとは言えなかったが、

この作品は美術収集家のドリア伯爵によって購入された。

そして存命中に、

画家自身の承諾を得て何度も展示された

数少ない作品のひとつである。


(参考文献:東京美術/印象派絵画の見かたより)
(写真撮影:ほしのきらり)

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最終更新日  2022.11.05 00:10:09
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