エピローグ
俺達は、欅平からトロッコ電車に乗り、宇奈月に向かう。窓のないトロッコ電車には、気持ちいい風が通り抜ける。電車という乗り物はなんと速いのだろう。歩けば数時間もかかる距離を数分で走ってしまう。俺達は、剣岳に登った。冷めた言い方をすれば、重い荷物を持って、わざわざ疲れにやってきたのだ。岩場で死にそうになった。遭難しそうにもなった。おかげで体はぼろぼろだ。あちこちの筋肉が悲鳴を上げている。そこに何の意味があるのだろう。ひょっとすると意味などないのかもしれない。しかし、この魂が洗われたような爽快感は何だろう?思い出すだけでにやけてしまうほど、楽しかった。岩場で恐ろしかったことも、もうすでに楽しい思い出になっている。インディー、らの字とともに、血の通った会話をし、胃がひっくり返るほど笑った。意味などどうでもいい。爽快感の正体など、捜す必要はない。俺達が剣岳に登った。過ごした時間の中に大事なものを見つけたなら、それで十分だ。東京で感じる物足りなさは、きっと夢中になっていないからだ。心から楽しめていないからだ。自分の振る舞いに、言葉に、血が通っていないからだ。でも、この感触をこれから東京に戻る俺自身に、土産として持ち帰れば、もう大丈夫だ。自分を演じる必要はない。東京風に飾る必要もない。東京でも夢中になれるるものが見つかるに違いない。もし、自分を見失ったら、また、山に登ればいい。旅に出ればいいだけのことだ。