エピローグ
シルクロード夜、カシュガルの空港からウルムチに向かった。着いたのは、夜中の1時。それから、仮眠を取って、翌朝一番の飛行機で北京に向かった。約2週間かけて走り抜けたシルクロードをたった数時間。シルクロードは、数時間で飛び越えてしまうには、あまりにももったいなすぎる。飛行機の窓におでこをつけて、眼下に広がる砂漠を凝視する。空の上から見る砂漠はまた、ぜんぜん違う表情をしている。大地に刻まれた瓦礫の皺の中を、糸のように走る道。シルクロードは、西域へ、ヨーロッパへと通じる大動脈だ。なのに、砂漠に飲み込まれてしまいそうなほど細い。俺達は、その上を走り回る、砂場のアリのような存在だったのだ。北京にたどり着いたのは、午後。まるで目隠しされて別の場所につれてこられたような驚きがある。景色のギャップが、夢を見ていたのかもしれない、そんな錯覚に陥らせる。地面は土よりもアスファルトが占める割合が圧倒的に多い。道は広く、平らに舗装されている。建物はコンクリートで作られ、無駄がない。物に満ち溢れてはいるが、ここには何かが足りない。そうだ、カシュガルで感じた暖かい雑踏がない。無関心で冷たい雑踏。北京でそう感じるのだから、カシュガルから一気に東京に帰っていたら、耐えられなかっただろう。北京では紫禁城を見学した。その桁違いの規模と、壮麗さには驚かされた。何もかもが煌びやかで、上品さを兼ね備えている。北京に着いて、最初に紫禁城を見ていたら、シルクロードで見たものがつまらなく見えたかもしれない。しかし、石窟寺院、火炎山、交河故城、万里の長城・・・朽ちかけた土の塊の中に、温かさや人の重みを感じた後では、紫禁城のほうがつまらなく思えた。見たものから妄想が掻きたてられないのだ。皇帝の生活を味わうよりも、砂漠の真ん中で感じた、ウイグルや遊牧民族の日常を妄想するほうがわくわくする。紫禁城:隣はガイドのお姉さん俺は、この旅で、見学した遺跡の記録と共に、大事なものを手に入れた。人が住む場所である以上、そこには人の生活があり、文化がある。それに触れない旅はつまらない。次の旅行・・・恐らくインドになると思うが・・・では、じっくりと旅と向き合い、自分の足で旅をしよう。俺のシルクロードは、まだまだ続くのだ。