おとなしくしていない悪い子の一日
姫路 前の日記に書いた高校の修学旅行、小豆島から飾磨の港に着きバスで姫路城まで行きました 意外とお城までは距離があるもので、山陽線の北側になるんですね。 当時は、白い小石が引かれていて、靴が真っ白になったことだけ覚えていますね。明石海峡大橋 この橋は、何度か紹介していますね。この橋が完成したので、神戸から淡路島各地や徳島 に行く連絡船が無くなったんですね。日曜日には、良く乗っていたものですけど。神戸市とポートアイランド、そして神戸空港 六甲山の裏側の山を削り、それをパイプラインで港まで運び、新しい島を作ったと良く言わ れますが、正確には六甲の西にある須磨の裏側の岩山を削って、須磨浦まで運んでとなるん ですが、実は私はその跡地に出来た名谷団地に将来のすみかとして、3LDKを1部屋求め て2年間住んでいたのです。 当時勤めていた事務所は、旧居留地にありましたので、名谷から三宮まで市営地下鉄で 通っていたのですが、この旧居留地も埋立地ですから地震の被害がとても大きくだいぶ 姿が変わってしまいました。 当時もポートアイランドはありましたし、同時に売り出されたのですが、ポートアイランド の方が少し安かったのかな。私のマンションは岩盤の上に立っていましたので、お風呂場の タイルが38枚落ちただけで済みましたが、時の店子さんが福岡に移りましたので、結局 手放すことになりましたね。水の都大阪 今天地人で大阪から江戸に政権交代の時を迎えているようですが、当時の大阪はもっと小さ かったんですね。大阪城も海にまでそんなに遠くは無かったのですが、こうしてみるとどこ にもありませんし、梅田の街も見えませんね。 2度目の大阪勤めの時は、大阪駅前のビルに5年間勤めていたのですが、地方担当と言う か、当時は奈良県や和歌山県は公用で、くまなく歩いたものでした。 雲が覆い始めていますが、この雲がこれからずうっと東の方まで伸びていて、御前崎まで は下の景色は何も見えなかったんですよ。---------------------------------------------------------------------------------- 普通の暮らし2日目の29日、この日は予定では小松空港まで飛行機で飛んで、金沢城址で 行われる歌舞伎の公演「連獅子」を見るはずでした。最初は一週間くらいで退院と聞いてい たのに、腎臓の数値が安定しないこともあって、なかなかカテーテル検査をすることが出来 ず、シルバーウィークに入る前、東海大学で検査することが決まり、入院手続きに弟の嫁さ んが行ってくれたのですが、連休明けの転院となったのでした。 これは不味いと、あわてて金沢のツアーをキャンセルしたのですが、時すでに遅くしっか りと大雪の銀泉台に続き、キャンセル料を請求と言うか、既に決済済みだったので、返還 金から引かれてしまいました。 私は、前職の関係でカテーテルでステントの挿入だけならば、退院も早く直ぐに普通の生活 が出来ることを知っていたので、いつキャンセルするかはほんとに微妙な問題だったので す。また場合によっては、胸部を切ってバイパス手術も必要となる可能性も大でしたので。 でこの日は何をしたかと言うと、入院で無断キャンセルした東海大の石井外来、無呼吸症 の現況確認に行ったのです。月に一度は、担当医師に面接するのが保険適用の条件ですし 石井先生は、火曜日の午後だけですから、この日しか無かったと言うのが本当のところ。 つい三日前まで入院していた所に、車で通院すると言うのはなにかとても変な気持でしたよ 先生も、パソコンに表示されるカルテの順番が狂っているのでびっくりはされていました が、ただ昨日は予約が無いので、待たされましたけど。 帰りに小田原厚木道路を大磯で降りて、二宮から西湘バイパスにはいり、小田原のショッ ピングセンターでメダカちゃんたちの為に、留守番用の固形の餌と金魚藻を購入。マンシ ョンに帰ると、ちょうど自治会の会長も退院してきたところで、急きょ三役の打ち合わせ をとなったため、そのまま共用棟に。 さすがに、単なる打ち合わせとは言え、出かけてから半日以上にもなり、疲れ果てましたね 15日寝ていたと言うのは、見えないところで影響が大きいものです。