|
テーマ:教育問題について(398)
カテゴリ:教育
《日本人は、「アカデミック・スマート」であること、つまり学歴が高いとか、与えられた勉強に対してよい成績が取れるということが重要だということを、親や先生、いわゆる「世間」から徹底的にたたき込まれます。東大卒や早慶卒の肩書きを欲しがり、高校も、そういった大学への進学率を誇ります。 もちろん、統計的には、アカデミック・スマートな人が、実務能力に長けているということは否定しません。問題処理能力があり、即座に解を出す能力を持っています。 しかし、決まっている問題に答えを出すのは、実は、簡単なのです。ある程度のパターン認識力を養い、勉強量をこなせばなんとかなるからです。また、東大に受かろうと思ったときにいちばん効率的な方法は、「解ける問題を着実に解くこと」。すなわち、難しい2割の問題を捨てて、残りの8割の比較的解きやすい問題をいかに効率的に解くかを学ぶことです。 そして、日本に限ったことではありませんが、いわゆるアカデミック・スマートの大きな問題点は、難しい問題は避けて、易しい問題を解こうとする傾向があることと、難しい問題は「解いたふりをする」ことがあるということです。実際、アカデミック・スマートが集まっている、日本の官僚制度を見ると、その根深さが分かると思います》(勝間和代『高学歴でも失敗する人、学歴なしでも成功する人』(小学館101新書)、pp. 12-13)
《學問の本趣意は讀書のみに非(あら)ずして精神の働きに在り。此働きを活用して實地(じっち)に施すには樣々の工夫なかるべからず。「ヲブセルウェーション」とは事物を視察することなり。「リーゾニング」とは事物の道理を推究して自分の說を付ることなり。此二箇條にては固(もと)より未だ學問の方便を盡(つ)くしたりと云う可らず。尚この外に書を讀まざる可らず、書を著わさゞる可らず、人と談話せざる可らず、人に向かいて言を述べざる可らず、此諸件の術を用い盡くして始て學問を勉强する人と云う可し。即ち視察、推究、讀書は以て智見を集め、談話は以て智見を交易し、著書、演說は以て智見を散ずるの術なり》(福澤諭吉「學問のすゝめ」12編:『福澤諭吉全集』(岩波書店)第3巻、p. 103)【了】 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[教育] カテゴリの最新記事
|