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照千一隅(保守の精神)

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「照千一隅(しょうせんいちぐう)」(一隅を守り、千里を照らす)は伝教大師・最澄の言葉。本を読み、考えたことをこのブログに書いて参ります。ご意見、ご感想など御座いましたら是非お寄せください。

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平成ソクラテス

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2021.12.17
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カテゴリ:教育

《「答え」のない時代に求められるのは、「突破力」。つまり、問題の本質がどこにあるのかを素早く見極め、それを解決するための自分なりの最適解を生み出す力、そしてそれを実行して絶えずフィードバックを得、学びながら解決に向け突き進む力なのである。机上で頭でっかちになってはいけない。自分の「専門性」の殻に閉じこもってもいけない。その時々で何が必要かを考え抜き、動き続けることが大切。難問にぶつかってもくじけず成果を上げ知恵として結実させていく「ストリート・スマート」さが求められているのである。

 「専門性」と「突破力」。今の時代に仕事で高い成果を上げ続けるためには、その両方が不可欠である。「アカデミック・スマート」さを兼ね備えた「ストリート・スマート」な人材。それが、これからの時代を力強く生き抜いていくビジネスパーソン像なのである》(大前研一『挑戦 新たなる繁栄を切り開け』(ビジネス・ブレイクスルー出版)、p. 111

 海図無き時代において必要なのは<ブック・スマート>ではなく<ストリート・スマート>であるという話は分からないではない。問われるのは、<ストリート・スマート>の中身である。勿論、<ストリート・スマート>が万能というわけではないだろう。仮に<ストリート・スマート>を「実践知」のようなものだと考えるとしても、ではどうやってその「実践知」を身に付けるのかということが次の問題となる。学校内に留まらず、街中に出て野外作業(field work)に携わることで「実践知」は磨かれるのかと言えば、甚だ疑問である。

 扨(さ)て、私は日本の教育において、行き過ぎた「功利主義」こそが問題なのではないかと睨(にら)んでいる。大学に受かることを第一に考え、疑問を抱いたり、追求したりといった、受験とは関係のないことに踏み込まないことが肝要という風潮に覆われてしまっていることが問題だと思うのである。興味関心は知識の習得と偏差値だけという歪んだ学習がひ弱な社会人を生み出し続けているのではないか。

 根本的な問題は、大学入試の在り方にある。日本の大学は入学の門戸が狭いが、一旦入学すれば心太(ところてん)式に押し出される形で卒業できる。だから合格目指して遮二無二(しゃにむに)知識を頭に詰められるだけ詰め込もうとする。これを欧米流の広い門戸に改め、大学に入ってからもしっかり勉強しないと卒業できない形に改るべきだというのが私の主張である。
 門戸が広くなった分だけ知識の詰め込みが緩和され、これまで据え置かれてきた「何故の探求」に時間を割くことが可能になる。「何故の探求」の経験の積み重ねが答えの無い問題に答えを出す礎(いしずえ)となる、私はそう思うのである。






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Last updated  2021.12.17 21:00:08
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