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テーマ:教育問題について(398)
カテゴリ:教育
《「答え」のない時代に求められるのは、「突破力」。つまり、問題の本質がどこにあるのかを素早く見極め、それを解決するための自分なりの最適解を生み出す力、そしてそれを実行して絶えずフィードバックを得、学びながら解決に向け突き進む力なのである。机上で頭でっかちになってはいけない。自分の「専門性」の殻に閉じこもってもいけない。その時々で何が必要かを考え抜き、動き続けることが大切。難問にぶつかってもくじけず成果を上げ知恵として結実させていく「ストリート・スマート」さが求められているのである。 「専門性」と「突破力」。今の時代に仕事で高い成果を上げ続けるためには、その両方が不可欠である。「アカデミック・スマート」さを兼ね備えた「ストリート・スマート」な人材。それが、これからの時代を力強く生き抜いていくビジネスパーソン像なのである》(大前研一『挑戦 新たなる繁栄を切り開け』(ビジネス・ブレイクスルー出版)、p. 111) 海図無き時代において必要なのは<ブック・スマート>ではなく<ストリート・スマート>であるという話は分からないではない。問われるのは、<ストリート・スマート>の中身である。勿論、<ストリート・スマート>が万能というわけではないだろう。仮に<ストリート・スマート>を「実践知」のようなものだと考えるとしても、ではどうやってその「実践知」を身に付けるのかということが次の問題となる。学校内に留まらず、街中に出て野外作業(field work)に携わることで「実践知」は磨かれるのかと言えば、甚だ疑問である。 扨(さ)て、私は日本の教育において、行き過ぎた「功利主義」こそが問題なのではないかと睨(にら)んでいる。大学に受かることを第一に考え、疑問を抱いたり、追求したりといった、受験とは関係のないことに踏み込まないことが肝要という風潮に覆われてしまっていることが問題だと思うのである。興味関心は知識の習得と偏差値だけという歪んだ学習がひ弱な社会人を生み出し続けているのではないか。 根本的な問題は、大学入試の在り方にある。日本の大学は入学の門戸が狭いが、一旦入学すれば心太(ところてん)式に押し出される形で卒業できる。だから合格目指して遮二無二(しゃにむに)知識を頭に詰められるだけ詰め込もうとする。これを欧米流の広い門戸に改め、大学に入ってからもしっかり勉強しないと卒業できない形に改るべきだというのが私の主張である。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2021.12.17 21:00:08
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