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テーマ:憲法議論(165)
カテゴリ:憲法
《憲法9条が放棄する「国権の発動たる戦争」は、国際法上、伝統的に、国の主権の発動として認められてきた武力闘争を言う。この国際法上における戦争は、戦意が宣戦布告もしくは最後通牒(つうちょう)という手続によって明示的に表明されるか、武力の行使を伴う外交断絶という形式で黙示的に表明されることを要件とする戦争であり、戦時法規の適用を受けるもので、形式的意味の戦争と呼ばれる。戦時法規とは、具体的には、たとえば交戦状態に入った場合に、交戦国に認められる権利(rights of belligerency)、すなわち、敵国の軍事施設を破壊する権利とか、相手国に対して軍需物資を補給する第三国(国際法上中立義務がある)の船舶等を拿捕(だほ)する権利等のことを言う。 「武力の行使」は、このような国際法上の意味における戦争ではなく、国家間における事実上の武力闘争のことを言い、実質的意味の戦争と呼ばれる。満洲事変や日中戦争がその例である》(芦部信喜『憲法学I 憲法総論』(有斐閣)、p. 256)
《もっとも、国連憲章の禁止する「武力の行使」が憲法9条1項の禁止する「武力の行使」と必ずしも意味を同じくしない点に、注意しなければならない。憲章は、形式的意味の「戦争と対置してそれと区別される『武力の行使』を禁止しているのではなく、「武力の行使が戦争として行われようと否とを問わず、それを禁止したのである」、と解されるからである》(同) 国連憲章は、戦争をはじめとするあらゆる武力行使という意味で「武力の行使」と言っているのに対し、日本国憲法第9条は、<戦争と、武力による威嚇又は武力の行使>のように対比的に述べられているので、9条の「武力の行使」には<戦争>や<武力による威嚇>といったものが含まれないという注意である。 《このように9条は、戦争を、形式的意味のそれも実質的意味のそれも放棄するとともに、戦争の誘因となる「武力による威嚇」、すなわち武力を背景にして自国の主張を他国に強要し、それを貫徹しようとする行為(たとえば、明治28年〔1895年〕わが国に対して行われたドイツ、フランス、ロシアの三国干渉、大正4年〔1915年〕わが国が中国に対して行った21ヵ条要求)をも放棄すると宣言している点で、まさに画期的と言うことができる》(同) <画期的>と言うよりも「非現実的」と言うべきだ。現実的な話であれば<画期的>と称賛することも出来ようが、こんな現実離れした条文を<画期的>などと言っても意味がない。もし<武力を背景にして自国の主張を他国に強要>するのが駄目なのであれば、現行の9条2項のように武装解除するしかない。が、結果はどうだったか。武力の後ろ盾がなければ、対等な外交など成立しない、そのことを思い知っただけであろう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2022.01.26 21:00:07
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