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照千一隅(保守の精神)

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「照千一隅(しょうせんいちぐう)」(一隅を守り、千里を照らす)は伝教大師・最澄の言葉。本を読み、考えたことをこのブログに書いて参ります。ご意見、ご感想など御座いましたら是非お寄せください。

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2023.01.30
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カテゴリ:歴史

《グローバリズムは、経済の考え方を大きく変えた。戦後の先進国の経済は、製造業の技術革新による大量生産・大量消費に支えられて発展してきた。賃金上昇が需要を喚起してさらなる大量生産を可能とし、一国の経済政策が景気を安定化したのである。社会は中間層を生み出し、政治は安定した。明らかにマルクスの予言ははずれた。(中略)

 資本主義が不安定化するというマルクスの直感は間違っていたわけではない。しかしむろん、マルクスの理論や社会主義への期待が正しかったわけでもない。マルクスに回帰してどうなるものでもない》(佐伯啓思「『マルクスの亡霊』を眠らせるには」:2008年8月1日付産經新聞「正論」)

☆ ☆ ☆

歴史的観察を頼りに、専制政治の寿命は短いものだという確信を抱き続けている政治学者は、専制君主の没落に寄与することになるかも知れません。どなたも御存じのように、選挙の時に候補者は自分の勝利を予言するものですが、これは予言を実現し易くしようという意識的な目的によるものなのです。経済学者、政治学者、歴史家が予言という冒険を行なう時は、往々、予言の実現を促進しようという無意識の願望によって動かされているのではないかとも思われます。(E・H・カー『歴史とは何か』(岩波新書)清水幾太郎訳、pp. 102f

 「予言」(prediction)は、経済学者、政治学者、歴史家の「冒険」ではない。未来は神のみぞ知るものであって、自分には予言する能力があると考えること自体が傲(おご)りでしかない。神の啓示でなければ、予言は過去からの延長線上にある。が、人間が知れる過去など高が知れている。が、自分に都合の良い過去を「合理的」に選択し、それを必然的歴史の流れと考えることで「予言」は生まれるのであって、「予言」の論拠など「大海の一滴」に過ぎないのである。

こうした複雑な関係について間違なく申し上げることが出来ると思いますのは、観察するものと観察されるものとの間の、社会科学者と彼のデータとの間の、歴史家と彼の事実との間の相互作用は連続的なもの、また、不断に変化するものであるということ、そして、この点が歴史および社会科学の著しい特徴と思われるということ、これに尽きております。(同、p. 103

 如何にも尤(もっと)もらしいことを言って、「予防線」を張っているだけではないか。「予言」は正当なもの、確かなものだが、その後、社会科学者と彼のデータとの、歴史家と彼の事実との相互作用の連続によって「状況」は不断に変化する。だから、「予言」は当たらなくても仕方ない。とでも言いたいのであろう。が、真の「予言」とは、このような変化をも読み込んで行うべきものであって、それが出来ないというのなら、「予言」などという大層なことはしなければよいだけではないか。






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Last updated  2023.01.30 21:00:08
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