照千一隅（保守の精神）

葦田　江戶を攻擊するには、われ／＼は英吉利（イギリス）と戰ふ決心でなければならん。

中村　何を云ふか。何んで英吉利と戰ふことになるんだ。それよりは、病院の方は何（ど）うだ。戰爭が始まったら、官軍の負傷兵を、英國公使館の病院で收容してくれる承諾を得て來たか。

葦田　それどころぢやない。パークスは大變な劍幕だ。

中村　何が大變だ。落ち付いて話せ。（舌打して）總攻擊の準備は總（すべ）て調（ととの）つてゐるが、我が軍の缺乏（けつぼう）はたゞ軍醫（ぐんい）官なのだ。その點（てん）は是非とも英國公使の援助を受けるより外に策がないのだ。

葦田　それが可（い）かんのぢや。戰爭を開けば、英吉利は幕府に援助の兵隊を出さんとも限らん。

中村　何を云つてるのだ。何虞（どこ）と何虞との戰爭なのだ。英吉利が何んの關係（かんけい）するところがある。狼狽（ろうばい）しちや可かんよ。

葦田　國際公法といふものがあるんださうだ。パークス公使はそれを盾にとつて、官軍の無法を憤（いきどお）つてゐるのだ。困つた、實に困つた。

中村　分らん。ハッキリ云つてくれ。何んでパークスが……。

葦田　好く聞きたまへよ。パークスは、今回の戰爭を內亂（ないらん）征伐の軍（いくさ）とは見ないさうだ。政治上の戰爭、卽（すなわ）ち……政論の爭ひと見ると云つてゐる。順逆の大義をいかに說明しても、異人には分らん。

中村　政治の戰爭？　無論何日（いつ）の戰爭でも政治の戰爭だ。

葦田　然（そ）うぢやない。君は國際公法といふものを知らないのだ。內亂征討と政治戰爭とは全く達ふと。バークスは主張してゐるのだ。

中村　また國際公法か？　國際公法とは人の戰爭の邪魔をする法律か。そんな馬鹿げた法律が何處（どこ）にある。日本で、日本人が戰ふんだ。（「慶喜命乞」：『眞山靑果全集 第７卷』（講談社）、pp. 75f）

　何としても英国は日本に入り込みたい。だから自分が国際社会を取り仕切っているかのように「国際公法」などというもの持ち出すのだ。

茸田　バークスが云ふには、前（さきの）將軍は今回の政治戰爭に於（おい）て、筍（いやしく）も一方の統御者である。しかも恭順謹愼して無抵抗の狀態にゐる。それをなほ邀（むか）へて殺さんとするは、人道上より見通しがたき罪惡である。英吉利は通商國として、その暴虐を默過（もっか）されないと云ふ。

中村　飴計（よけい）なお世話だと云つて來い。默つて歸（かえ）つて來るやつがあるか。

村田　（中村の激昂（げっこう）を制しつゝ）で、何か。英國は幕府を援助するのか。

葦田　それは云はんが、斯（こ）う云つた。たとへ國事犯罪者であつても、その主謀者に第三國が保護を加へるのが歐米諸國の慣例となつてゐる。若し慶喜公にして英國公使館に遁（に）げ込む場合があれば、英國公使は大英國の國旗のもとに前將軍を保護すると明言した。

村田　厄介な事を云ひ出して來たなア。そんな面倒な法律が、世界にあつたのかなア……。

中村　好（い）いぢやないか。構はん／＼。病院を借りなけりやそれで好い。怪我（けが）人は皆地べたへおツぼり出して置いて、生き殘つた者だけで江戶城を乘り取らう。遣（や）らう／＼。日本人の戰爭だ。

葦田　仏蘭西（ふらんす）公使は初めから幕府援助だ。英國まで敵にとつては、この際不利益ぢやらう。（同、p. 77）

　英国の手を借りようとしなければ、英国も深く介入はできない。だから、英国公使館の病院を借りなければよいと言うのである。