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照千一隅(保守の精神)

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「照千一隅(しょうせんいちぐう)」(一隅を守り、千里を照らす)は伝教大師・最澄の言葉。本を読み、考えたことをこのブログに書いて参ります。ご意見、ご感想など御座いましたら是非お寄せください。

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2023.12.25
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テーマ:大東亜戦争(216)
カテゴリ:歴史

《これらの出撃論を「現代の目」で笑うことは容易である。だが、当時の日本人にとっては、笑うどころではなかった。それは「歴史の呼び声」であった》(林房雄『大東亜戦争肯定論』(番町書房)、p. 122)

 「歴史の呼び声」と言うよりも「時代の要請」ないしは「時流」とでも言う方が私にはしっくりくる。歴史は過去に属する。が、「征韓論」は今判断しなければならない「現在の問題」だったからだ。

《この呼び声に答えることは生死の問題である。政府部内では、「武力出撃論」と「内治優先論」が発生し対立し、さらに交錯して、昨日の「出撃派」は今日の「内治派」となり、「内治派」はまた「出撃派」となり、これに各藩閥の利害、「功臣」たちの権力闘争が加重されて、ついに明治6年の「大破裂」を結果した》(同)

 賛否が錯綜(さくそう)し、どうしようもなくなって、西郷をはじめとする半数の参議が辞職するという異常事態が出来(しゅったい)した。世に言う「明治6年政変」である。

《征韓論には2つの目的があるとされる。すなわち1は帝政ロシアの朝鮮侵略に先んずるという口実で、日本がこれを占領し、さらに中国を侵略する橋頭堡(きょうとうほ)にしようというのと、2は、当時国内における内乱の危機を外征にそらそうとの目的があるとされる…外務省すじでの征韓論は、第1に主眼点をおき、初期の木戸孝允、佐田白茅らのそれは、第2の目的を主としている》(井上清『日本の軍国主義』(東京大学出版会):国立国会図書館デジタルコレクション、p. 101

《これは井上清氏のマルクス主義的分析であって、「征韓論」を日本の東亜侵略の第1歩と見なす解釈である。同じ見解が左翼史家たちによって一般化されているが、果してそうであろうか。私にはただの公式論、マルクス主義の不手際な応用としか見えない》(同)

と林氏は、ばっさり斬り捨てる。

《私は「征韓論」をもまた「東亜百年戦争」の一環と見る。それは維新革命によって一応の国内統一を達成した日本の「西欧列強」に対する、最初の、そして性急な反撃計画であったと考える。性急すぎ、早すぎたために、それは挫折した。「内治派」が勝ち「出撃派」が破れた。

明治6年の西郷派の征韓論は「東亜百年戦争における挫折した反撃」として理解する時に、初めてその真相にふれることができるのではなかろうか。相手は朝鮮ではなかった。清国でもなかった。「東漸(とうぜん)する西力(せいりき)」であり、「欧米列強」であった。そして、最初の反撃計画は挫折した。挫折したが故に、「西南戦役」という内乱も生れ、その犠牲もまた絶大であった》(同、pp. 122f






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Last updated  2023.12.25 20:00:10
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