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今宵、maykissのシェフの
堀田さんから電話があり 塾の元保護者であるKさんと 3人で飲むことになった Kさんは元塾生の父でもある その一人息子を 事故で失った… それから10年以上経つだろう 話しは自分が生きていた爪痕を どう残すのかという かなり微妙な話しとなったが 別れて、今一人電車の中で 思うことは自分は恵まれている ということだけだ 彼の心の孤独を 詮索できない自分は 人間として恥ずかしい限りだ 人は生き、そして死ぬ それ以上の意味など 今の自分には見いだせない よく生きるというのは よく死ぬという同意語に 他ならない… 自分はどこかで 確信犯だ 世の中的には 不謹慎で かなり酔いて候うなのだが… お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
自分は何処から来て何者なのか?
などと哲学的なことを思いつめたりするものの とどのつまり究極は食べて出して死ぬ それだけのものなのかなと思ったりもします。 塾長は少なくとも足跡を残し人から感謝され 良い人生だったと思えるのではないでしょうか。。 いつものことですが私も酔いて候です・・・(汗) (2020.09.11 22:29:34)
食べて出して死ぬ、自分は事情で5才の時に別れた母の介護をしているのですがまさしく彼女を見ているとその通りです。それは生物学的にみればその通りですが、いかんせん人は結構面倒くさい存在で、そこに昔の記憶だったり、肌のぬくもりがインプットされているので介護するにおいての自分はそれ以上の意味を感じてしまいます、
そして自分も歳をとり、自分の意志など関係なく、自分以外の人に、またはそれが家族であろうが他人であろうが介護され死んでいく…または野垂れ死にするかもしれない…だから今をとりあえず精一杯生きる。母を見て勉強した⁉ことのひとつです。かなり酔いて候うですが… (2020.09.17 22:55:54) |