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ぐおー。 本当にお礼が遅くなってしまいました。 maoさん、本当にアリガトウ。<お誕生日。 本当に温かい、素敵なメッセージを貰ってちょっと涙目。 maoさんのことは一生忘れません(感涙)!! いやー、本当に言い訳っぽくなりますが、先月、先々月は本当にキツイものがありました。忙しい中、突然同僚がやめちゃったり(どうしようもない事情の下なので、全く彼の責任ではないのですが)、その人と私の仕事が被ってたこともあって、身内の不幸も重なり、しんどい日々を過ごしました。一ヶ月近く週休一日位で(それで十分だろうって??私には十分じゃないんです(笑))、なんか立ち止まる間もなく走り続けてた感じ。 なんか今年は年明けそうそう色々ありまして、たはー。 まあ、愚痴になるのでやめます。今は状況も著しく改善して呑気な顔してますが。 本はね、それでも読み続けてるんですよ。 いろいろなことの反動のように、なんかですねえ、すごい勢いで読んでます(笑) 今年に入って最初の数ヶ月は、以前書いたようにIris Murdoch(アイリス・マードック)にはまって、その合間にオースターの新作、アラン・ホリングハースト二作、デリダの遺作、クンデラの新作って洋書一点張りだったんです。 したらその反動か、その後はすっごい勢いで日本文学ブームが再来しまして。 私ですねえ。長らく鏡花ってそんなに好きじゃなかったんですね。文体が綺麗過ぎて中身が置いていかれてる気がして。なので、結構有名な作品しか読んだことなかったんですが、ふとしたことから短編の全集を手にしたら、すごい夢中になって全部読んでしまいました。 尋常じゃないです、泉鏡花の文体の美しさは。 文章を追ってる目が喜んでるのが分かる感じ(笑) 花の色、空の色、空気の匂い、葉の作り出す影、光の中の翳。 どうしてあんなふうに表現できるんだろう。 あの文体があってこその、中身だったんだ。と今更ながらに目から鱗です。 で、そこから始まってまさに一人「日本文学フェア」。 本当はですね、少しづつでも読んだ本について感想など残していければいいナーとは思ってるんです。 でも正直、仕事に時間がとられ、趣味の習い事もしたい、友達にも会いたい、電話もしたい、勉強もしなくちゃ、等々、時間に限りが出てくると、本について書くよりは時間を惜しんで、むしろ一冊でも本を読んでいたい。って気持ちが強くて。 じゃあ、全く感想を書きたくないかというと、でもやっぱり感想はカタチに残しておくのがいいデスよねえ。とも思う。このブログもやっぱり読み返すと頑張って書いた本の感想なんかは、懐かしくも愛しいですし。 揺れる乙女心(笑 もう乙女とも言えない年が見えてきたワ。でもいいんです、キモチは乙女だから。) いずれにしても。 どんなに忙しくても本は大事です。 学生の時に時間があってうわーっと思うまま読んでいたときも大事でしたし、今社会人になって電車の中なんかで用事の合間を縫って読んでる時間も本当に大事。 何が大事大事だ。なんてチープな言い方しか出来ないんだろう。 一因は、今、本当に眠いからですが(笑)。 でもね。 本を読んでるから、これができるとか、こういう人になれるとかじゃあないんです。 別に仕事に役立つか、とかそういうことでもない。 知性がどう、とか教養がどうとか、頭がよくなるとか、そんなことでもなくて。 ただ大切です。 仕事での頭を休めたいからでも、一時現実を忘れられるからでもない。 そういう読書も私にも勿論ありますし、それはそれでいいんですが。 そうじゃなくて、仕事とか私の一部分とかでどうのではなく、もっと根本的な、全体としての私を今までもこれからも貫き通すものとして必要なんだと思うのデスよ。 哲学は「自己から世界を見るための地図をくれるもの」だと以前読んだ本にありましたが、私はそれは本を読むことにもいえると思うのです。勿論、純粋に楽しい、というのもありますが。 「本を読むということは、人生が一度きりであることへの抗議なのかもしれません」(by北村薫 円紫師匠のシリーズのどっか。) それは暇つぶしでもなく、好奇心でも、日常からの逃避でもなく。 自分の中に誰かを住まわすことだと思うのデス。それで自分のカタチが日々変わっていく。 ってか、文体が著しく口語体で、メールみたいだ。 いいたいこともわかりゃあしねえ!! でもすいません、力尽きました。寝ます(笑) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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