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カテゴリ:さいたま市緑区の石仏
今日は緑区中尾の石仏の続きです。
中尾小学校南墓地 緑区中尾 [地図] 中尾神社の社殿の西のあたりで第二産業道路を渡るとコンビニの駐車場沿いに 斜めにはいってゆく細い道がある。この道を北西に進んでゆくとやがて道なりに 左に曲がってゆく。右手に中尾小学校が見えてくるあたりの左手に薄暗い空地。 よく見ると墓石がいくつも立ち並んでいた。 左手奥のブロックの前 地蔵菩薩立像 正徳5(1715)光背右に華見堂供養とあり、 さらに光背の両脇の下の方に右 うらわ道 左 江戸道のような文字が見える。 足下には中尾村 施主敬白 三十三人と刻まれていた。置かれている状況や 年代から考えると不思議なほどきれいな状態を保っている。 中尾小学校西路傍 緑区中尾 [地図] 中尾小学校の西のマンションの角のブロック塀の中に石塔が並んでいる。 馬頭観音立像 享保18(1733)慈悲相二臂 なんだか笑っていらっしゃるようだ。 足の下の前の面に不動ヶ谷戸と刻まれていた。 隣には馬頭観音塔 弘化4(1847)この日は新しいミカンが供えられていた。 大聖不動尊 緑区中尾 [地図] 第二産業道路の緑区役所北交差点の西すぐ信用金庫の脇を入ったところに 大聖不動尊がある。入口から六地蔵と大きなお地蔵様が見えている。 不動堂の左手には六地蔵、地蔵菩薩立像、その奥に三基の石塔が続く。 六地蔵の台には中尾村不動谷、寛政十年(1798)などと刻まれている。 地蔵菩薩立像 元禄年間 おだやかないい顔をしている。蓮台に奉造立念佛 供養為二世安楽と刻まれていた。 その隣 笠付の庚申塔 元文5(1740)青面金剛立像 合掌型六臂 デフォルメされた デザインが面白い。右側面に庚申供養塔 講中十六人と刻まれている。左側面に 木崎領不動ヶ谷戸の文字も見えている。 続いて出羽三山供養塔 文化12(1815)正面に湯殿山 月山 羽黒山供養塔と彫る。 下の台の正面に講中、左側面に世話人長谷川氏と刻まれていた。 一番奥には庚申塔 元禄9(1696)奉建立庚申尊像 當處安全所と彫られていた。 その左脇には施主當村善男善女と刻まれている。 お堂の右前のあたりにも石塔が並んでいた。下が整地されていないためか この一角は荒れ果てた印象を受ける。 一番右 二十三夜供養塔 文化2(1805)上部に彫られているのは勢至菩薩立像 大宮浦和戸田など四方向六地名が刻まれていた。 左に二十六夜供養塔 文化4(1807)こちらの本尊は愛染明王坐像 六臂である。 道標として四方向十一地名が刻まれている。 いくつか墓石が続き一番左に立っていたのは百ヶ所観音供養塔 文化9(1812) 芦谷駒前墓地 緑区中尾 [地図] さいたま市立病院と北浦和をつなぐバス通りの西宿バス停から東浦和方面に 向かう道はここで二つに分かれる。左を行くと赤山街道、右は緑区役所に着く。 右の道に入って100mほど歩くと右手にあしや集会所がある。その向かいに 芦谷駒前墓地があり、入り口から入った右手に石仏が並んでいた。 右から庚申塔 宝暦2(1752)青面金剛立像 六臂 右手に鈴、左手にショケラを持つ。 笠には卍が彫られている。右側面 奉造立青面金剛庚申供養塔為二世安楽とある。 左側面には芦谷駒前 講中三十人と刻まれていた。 隣、地蔵菩薩立像 享保11(1726)下の台の正面に奉造立念佛供養所と刻む。 台の左側面には同行三十七人とあった。 六地蔵は像の様子や台の銘などは揃っている感じがするが、残念ながら何体かは 頭部があとから補修されているようだ。台の銘は右から奉建六地蔵尊、続く3台は 寳躰奇進 個人名が刻まれ、残る二つは一方は偈文が、最後のひとつには文化四年 芦谷駒前耕地中と刻まれている。 その奥 聖観音立像 天明2(1782)右側面に誦經講中と彫られていた。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2014.05.06 17:03:24
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