|
カテゴリ:志木市の石仏
ホームページ「私家版さいたまの石仏」はこちら
今日は昨日の続き、下宗岡の石仏です。 宗岡第二中学校北路傍 志木市下宗岡4-4 宮戸橋から秋ヶ瀬橋方面に向かう。下宗岡2丁目交差点を越え、次の交差点を 右折すると、その先のT字路の角のところに二基の庚申塔が並んでいた。 左 庚申塔 貞享2(1685)日月雲 青面金剛立像 合掌型六臂。お地蔵様のように 安定感のある佇まいで、その表情は威圧感が無く穏やかだ。 光背右「奉造立為庚申供養二世安樂」脇に下宗岡村。光背左に年号。続けて 同行二十九人 敬白と刻まれていた。 足元に邪鬼も二鶏もその姿はなく、大きめの三猿だけが彫られている。 右 庚申塔 宝暦7(1757)日月雲 青面金剛立像 剣・ショケラ持ち六臂。 異様な表情でたたずむ三眼の青面金剛。なぜか白目をむいているように見える。 足元両脇に二鶏。邪鬼はカマキリのようなポーズを取っている。さらにその下に かわいく三猿が彫られていた。 塔の右側面 白カビなどで読みにくいが上部に武州入間郡宗岡村。その下には 一部「平吉」などと読める。多くの名前が刻まれているようだ。 左側面には年号。その下に願主とあり7名の名前が刻まれていた。この角度からは 像の彫りの厚みが良くわかる。 下の宮氷川神社 志木市下宗岡4-7 上の庚申塔のある交差点から少し南に歩くと下の宮氷川神社がある。志木市の 南のはずれになり、境内はとても静かだ。 鳥居の右手、塚の上に石塔が並んでいた。 奥に立つ水天宮 明治21(1888)自然石の正面に大きく[水天宮」裏面には銘文が 刻まれている。 手前に水神宮が三基並んでいた。右から嘉永4(1851)明治34(1901)天保12(1841) 旱魃、水害に苦しめられてきた土地柄で水の神が多く祀られているようだ。 鳥居の左手、半分は土に埋まっているが敷石供養塔 文政4(1821)が立っていた。 側面に年号が刻まれているというが、確認はできなかった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2015.07.01 20:26:15
コメント(0) | コメントを書く
[志木市の石仏] カテゴリの最新記事
|