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私家版 さいたまの石仏

私家版 さいたまの石仏

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自転車とカメラが趣味で、気軽に写真を撮っています。
お地蔵様や庚申塔などの石仏にはまってしまいました。

さいたま市の石仏探しの参考書として
「石の文化財-浦和の石造物」浦和市教育委員会
「郷土の石佛 写生行脚一期一会」酒井 正

私家版さいたまの石仏のホームページ版は
http://saita-seki.jimdo.com/

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2016.06.13
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カテゴリ:富士見市の石仏
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今日は富士見市の最後の地区、勝瀬の護国寺です。

護国寺 富士見市勝瀬723

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渡戸の観音堂から北に向かい坂道を下りきったあたり、道路の左側に護国寺の入口があった。参道の左手に二基の石塔が立っている。

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左 順礼供養塔 安永9(1780)塔の正面中央「奉順禮西國秩父坂東供養塔」上部両脇に造立年月日。右脇に武州入間郡川越領勝瀬村。左脇に願主とあり、三名の名前が刻まれていた。

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右 庚申塔 延宝8(1680)梵字「アーンク」の下に刻まれた文字ははっきり見えているのだが読めない部分もある。右脇「□□以庚申者本三如來四菩薩垂迹山王七社明神也」さらに□結衆等□、続いて□□三葉□誠企一座居待願所石佛願依之一結衆等二世安全所。左のほうには武州入東野郡下仙波庄勝瀬村、その脇に造立年月日。さらに同行七人 施主敬白と刻まれていた。その下に三猿を彫る。三猿の下、中央に宝性院とあり左右に三名づつ、合わせて六名の名前が見えるが願主だろうか。

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早い時間に訪ねることが多く、いつも山門は閉まっているのだが、その右側にある通用口が開いていた。境内に入ると、右側に大きな板碑が並んでいる。

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手前 阿弥陀三尊種子板碑 建長4(1252)阿弥陀三尊の種子を彫り、その下に紀年銘と造立者名が刻まれていた。上部は欠けているがそれでも2m近い高さの大型の板碑だ。

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奥の右手 降三世明王種子板碑。紀年銘は確認できないが鎌倉時代中期のものか。梵字は「ダン・ウン」降三世明王を表すという。頭頂部は鋭角的で細長く全体の高さは3m近い。

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奥の左手 阿弥陀三尊種子板碑。こちらも紀年銘は確認できないが、やはり鎌倉時代中期のものだろう。上部に阿弥陀三尊の種子。これも高さは3m近い。三基の板碑はその大きさも表現も良く似ていて同年代のものと考えられる。

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板碑群の反対側、参道左手に大きな観音像が立っている。その両脇に二基の石塔、さらに左側には池が広がっていた。

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入口近く、池の築山の石の上に弁才天 明治45(1912)丸彫りの二臂像で琵琶を持つ。

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観音像の左、庚申塔 宝暦14(1764)日月雲 青面金剛立像 剣・ショケラ持ち六臂。カビと苔のために全体が緑がかっていて像の様子ははっきりしない。足の両脇に二鶏。足下に邪鬼、三猿を彫る。

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塔の右側面に造立年月日。左側面には勝瀬村とあり、個人名が刻まれていた。

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観音像の右 馬頭観音立像 寛政7(1795)三面六臂、馬口印を結び、残りの手には剣、法輪、斧、念珠を持つ。像は風化が進み庚申塔と同じように苔むしている。

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塔の右側面に造立年月日。武州入間郡勝瀬村、願主は個人名が刻まれていた。

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本堂の左から先に墓地があるが、その入り口に六地蔵菩薩立像が祀られている。

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像は苔は見られるものの比較的美しく、その静かな立ち姿には心惹かれるものがある。蓮台、敷茄子、台はサイズ、彫りなども揃い、多分六体とも当時の姿をとどめているのだろう。

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台のほうは風化が見られ、一部判読の難しいものもあった。勝瀬村講中、念佛(講中)などの銘はあったが、造立年月日は確認できなかった。





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Last updated  2016.06.13 20:57:45
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