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カテゴリ:さいたま市岩槻区の石仏
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南下新井の南は黒谷。その中心に旧村名を残す「和土小学校」があります。 和土小学校東路傍 岩槻区黒谷905向かい 和土小学校の南を通る道を東に150mほど歩くと道路左側、バス停の脇に石塔が立っていた。周りを木々に囲まれ、奥のほうにポツンと立っているので見逃しやすい。 山王大権現塔 宝暦6(1756)塔の正面に「山王大権現」その下両脇に二鶏。さらにその下に三猿を彫る。庚申塔に三猿は一般的だが、山王信仰において猿は神使とされ、このような山王信仰と庚申信仰が結びついた石塔をいろいろなところで見ることができる。 塔の右側面 上部に造立年、その下に施主として六名の名前が刻まれ、左側面にも同じく六名の名前が刻まれていた。 黒谷久伊豆神社 岩槻区黒谷1844 和土小学校の東400mほどの道路左側に久伊豆神社がある。一の鳥居のすぐ手前、参道右脇に石塔が立っていた。 猿田彦大神塔 大正7(1918)脇に「甲申様」と書かれた立て札がある。塔の正面「猿田彦大神」その両脇に文字が見えるがカビの中でうまく読み取れなかった。 下部に「み申 きか申 いハ申」とあり、文字で三猿を表したもののようだ。これも庚申塔の一つのあり方なのだろう。 塔の右側面「和土村指定村社久伊豆大神」左側面には造立年月日。その下に崇敬者中と刻まれていた。裏面にも多く文字が見えるが白カビが多く読み取りにくい。中央に「南埼玉郡和土村大字黒谷」まわりの文字は地名らしい。かすかに三里などと見え、道標の役割を果たしていたのだろう。 光善院 岩槻区黒谷1853 黒谷にある和土小学校の東、久伊豆神社の隣に光善院の墓地がある。入口左のブロック塀の裏に石塔が並んでいた。 入口近く 庚申塔 明治4(1871)塔の正面に大きく「庚申塔」 塔の左側面は無銘。右側面に造立年月日。その下に村中安全と刻まれている。 その右に庚申塔 享保4(1719)角柱型の石塔で上部に笠があった痕跡がある。日月雲に続き正面を彫り窪めた中に合掌型六臂の青面金剛立像 。白カビが多く顔などの様子はよくわからない。足下に邪鬼は頭を左にしてうずくまり、その下に正面向きの三猿。二鶏の姿は見当たらなかった。 塔の左側面に造立年月日。その下 庚申待講中、黒谷邑女中都合三十八人。右側面は状態が悪く判読が難しい。資料によると「奉造立供養青面金剛像一躯為二世安樂也 結主敬白」と刻まれているという。 その奥 庚申塔 宝暦12(1762)日月雲 青面金剛立像 合掌型六臂。足下に邪鬼と両側の猿が内を向く構図の三猿。やはり二鶏はいない。 両側面も白カビに覆われていた。左側面、上部に薄く造立年月日。その下は名前のようだがはっきりしない。右側面はさらに厳しい状態で文字らしきものは見えるが判読はできなかった。 野孫神社西の黒谷宅地 岩槻区黒谷2230北 笹久保通りを越えた先も一部は黒谷になる。野孫神社から西に向かって歩いてゆくと小さな川を越え、その先にある用水路の向こうで道は左にカーブしてゆく。このカーブの所にある住宅の庭に庚申塔が立っていた。 庚申塔 元禄14(1701)日月雲 青面金剛立像 合掌型六臂。大きな駒形の庚申塔。個人宅にあるものだが風化が少なく彫りもくっきりと残っていて美しい。 しかめ面をした三眼の青面金剛は首にドクロの首輪をかけている。光背右「奉寄進庚申待二世安樂」光背左に造立年月日。 足の両脇にきれいな二鶏。足下にぬらりひょんのような邪鬼。正面向きの三猿は彫りが細かい。三猿の下の部分には「おたけ」から始まり十一人の名前が刻まれていた。 以上、黒谷では文字塔3基、像塔3基、合わせて6基の庚申塔。久伊豆神社の猿田彦大神塔は道標の役割も果たしていたようだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2017.04.28 20:25:03
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