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私家版 さいたまの石仏

私家版 さいたまの石仏

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☆いたやま☆

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自転車とカメラが趣味で、気軽に写真を撮っています。
お地蔵様や庚申塔などの石仏にはまってしまいました。

さいたま市の石仏探しの参考書として
「石の文化財-浦和の石造物」浦和市教育委員会
「郷土の石佛 写生行脚一期一会」酒井 正

私家版さいたまの石仏のホームページ版は
http://saita-seki.jimdo.com/

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2018.05.20
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カテゴリ:越谷市の石仏
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旧四条村からはあと二か所、飯島家個人墓地と日枝神社です。

飯島家「九兵衛様」墓地 越谷市東町2-266-108隣


四条東墓地から排水路沿いの道路を西に進むと根郷橋の架かる交差点の角に飯嶋家の個人墓地があった。入り口にはカギが掛かっていて墓地には入れない。


入口から覗くと大きな舟形光背を持った如意輪観音像が見える。仕方ないので入口から2,3枚写真を撮って、今回は取材は無理だろうとあきらめていた。ところが先日、近くの日枝神社に行ったときに通りかかると入口が開いていて、墓地の周りの手入れをされている人にお話しして撮影の許可をいただき墓地に入ることができた。


如意輪観音坐像 寛文5(1665)舟形光背に六臂の如意輪観音坐像を浮き彫り。如意輪観音像は墓石にも多く、また月待供養塔でも見かけるが、二臂像が圧倒的に多い。六臂像はかなり貴重だ。近づいてみると遠目に見たのとは印象が違う。光線の加減もあるだろうが腹部が大きくせり出して妊婦のようにも見える。光背左上に造立年月日。右下に四条村飯嶋八左ヱ門。左下に為日儀也。寛文期らしい形の良い舟形光背は上部が大きく破損していた。




奇異な印象を受けたのは六臂の様子だった。第1手、観音様は右膝を立て、そこに右手の肘をかけて指先を頬に当てている。左手は左足のももの上、この形は二臂像とも共通でオーソドックスだ。第2手は右手に「如意宝珠」左手に未敷蓮華を持つが、普通は宝珠は胸の前あたりが多い。もろ手を挙げた構図は珍しいと思う。さらに第3手、左手に法輪を持ち右手は数珠を垂らす構図だが、その右手も体に沿って下ろされ、手の先に数珠が垂れるような形が一般的だが、ここでは右手が胸のあたりから上に向かう。なんとも個性的な構図と言えるだろう。


参考:さいたま市中央区上落合の地蔵堂の如意輪観音像 貞享2(1685)第2手左手の未敷蓮華、右手の宝珠ともに体の前にあり、第3手、数珠を持つ右手は右足の裏側に彫られている。


東のブロック塀の脇に馬頭観音塔 文化8(1821)角柱型の石塔の正面「馬頭觀世音塔」右側面に造立年月日。左側面には飯嶋氏の名前が刻まれていた。

日枝神社 越谷市東町3-102向


根郷橋を渡り南へ進み100mほど先を右折すると日枝神社の入口付近に出る。階段を上がってすぐ木の鳥居、その奥に石鳥居が立っていた。


二つの鳥居の間、参道右脇に二基の石祠と三基の石塔が並ぶ。石祠はいずれも寛政6年の建立で、「宇賀神」と「水神社」だった。


その奥 庚申塔 文政6(1823)駒型の石塔の正面 白カビの中に日月雲「庚申」


塔の右側面に造立年月日。左側面には新田講中と刻まれていた。


その隣 塞神塔 明治3(1890)駒型の石塔の正面 大きな字で「塞神」文字の彫られた部分は平らに削られているようだ。庚申塔を改刻したものかもしれない。


塔の左側面に造立年月日。右側面上部 越谷 壹里、草加 三里、千住 四里。その下に四條邨と刻まれている。


左端 塞神塔 明治3(1870)駒型の石塔の正面 こちらも大きな字で「塞神」


塔の右側面に造立年月日。左側面に四條邨。隣の塞神塔と左右逆だがよく似た構成。造立年月日も同じ。こちらは道標銘がないが兄弟塔だろうか。





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Last updated  2018.05.20 20:25:57
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