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カテゴリ:東京 練馬区の石仏
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愛染院でだいぶ時間をとってしまいましたが、今日は春日町の残りの石仏を北のほうから見てゆきましょう 練馬東中北交差点脇 練馬区春日町2-18 光が丘から平和台駅方面へ向かう田柄通りの「練馬北中東」交差点の西脇に庚申塔が立っていた。この四つ角は春日町全体から見ると北東の隅にあたり、すぐ東は北町、北は田柄になる。 庚申塔 元禄9(1696)笠付き角柱型の石塔の正面を彫りくぼめて、外に日月雲、中に青面金剛立像 合掌型六臂。笠が変形するほどに風化は進んでいるが、お守りするかたの心づくしのお花が供えられていて、いまだにその信仰は続いているものと思われる。 頭上に蛇の形らしい跡が残るが顔はつぶれていてはっきりしない。青面金剛は元禄期に多い形で、邪鬼ではなく磐座の上に立つ。 その下の部分、右から中田柄村、中央に施主は個人名、左に施主拾人。施主として個人名と「拾人」が並記されるのは珍しい。台の正面に比較的大きな正面向きの三猿が彫られていた。 両側面には大きな蓮の花が彫られている。左側面、蓮の彫り物の間に「奉造立庚申像一基二世安樂祈攸」さらに造立年月日が刻まれていた。 愛染院東環八通り歩道 練馬区春日町2-9 愛染院の入り口から富士街道を東に進むと環八通りに合流する。そのまま平和台方面に向かい始めての信号交差点の四つ角、歩道に小堂が立っていた。右端には像を欠く台石があったが銘は読み取れない。 左端 地蔵菩薩立像 造立年月日不明。厚みのある蓮台に立つ丸彫りのお地蔵様は顔はつぶれているが錫杖・宝珠ともに健在で堂々たる体躯をしている。台の正面に講中五十二人とあり、大きな講といえるだろう。右側面に二世祈攸。左側面と裏面は空間に全く余裕が無く銘を確認することができないが、どちらかに紀年銘が刻まれているのかもしれない。 中央 地蔵菩薩立像。こちらはかなり新しい。左手に幼子を抱え、裾にもふたりの幼児がすがりつく。台の正面に水子地蔵尊と刻まれていた。 右 大乗妙典供養塔 安永3(1774)上部両隅を丸めた角柱型の石塔の正面を彫りくぼめた中 阿弥陀三尊種子の下「奉納大乗妙典六十六部供養塔」右脇に天下泰平、左脇に國土安全。彫りは薄い。 塔の右側面に造立年月日。左側面には武州豊嶋郡上練馬村、続いて願主名が刻まれている。 春日町青少年館庭 練馬区春日町4-16 愛染院のすぐ南にある春日町青少年館の庭に二基の石塔が立っていた。写真後ろ、青年館の塀に解説板が設けられている。 左 馬頭観音立像 安永7(1778)駒型の石塔の正面に二臂の馬頭観音立像を浮き彫り。石塔全体が風化のために傷んでいた。顔のあたりもすっかり摩耗して顔立ちははっきりしないが頭上にはくっきりと馬頭が確認できる。左脇に造立年月日。右脇に豊嶋郡練馬之内 海老ヶ谷戸村。足元に願主 若者中と刻まれている。 塔の左側面 左ハぞうしかや道。右側面には 右ハ中村南蔵院道と刻まれていた。 奥に庚申塔 享保2(1717)こちらも駒型の石塔。正面 線刻された日月の下に青面金剛立像 合掌型六臂。像の表面は摩耗し、青面金剛の顔はつぶれている。右脇に「奉造立庚申二世安樂所」左脇に中宮村講中十三人と刻まれていた。 青面金剛は磐座の上に立つ。邪鬼・二鶏は見当たらず、小太りの三猿だけが彫られていた。 富士街道高松六丁目西交差点西路傍 練馬区春日町6-12 富士街道、愛染院前から500mほど西の春日町六丁目西交差点のすぐ西の住宅の塀の隅に小堂が立っていた。 小堂の中 地蔵菩薩立像 安永3(1774)舟形光背に錫杖。宝珠を手にした地蔵菩薩立像を浮き彫り。風化が著しく進み像は溶け始めている。真ん丸なお顔は目も口も鼻もないのっぺらぼう。青面金剛の場合は人為的なケースが多いが、お地蔵様でここまでの状態は「塩地蔵」以外にはあまり見ない。光背右脇に造立年月日。左脇に武州練馬村とあり、願主名が刻まれていた。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2018.08.22 20:44:27
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