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カテゴリ:酒井 正 石仏画の世界
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![]() 8P目 西区中野林にある旧薬師堂墓地の地蔵菩薩坐像 享保17(1732)変わった文様の入った円形の頭光背を持ち、右手に錫杖、左手に宝珠、厚みのある蓮台に左足を立てた形で座る。彫りは細かく、敷茄子の正面にも花の彫り物が施されている。 ![]() 大宮光陵高校の200mほど西、県道56号線と57号線に挟まれた中野林の住宅地の中に旧薬師堂墓地(西区中野林512)があった。 ![]() 門扉を開けて中に入ると左手に三基の石塔が立っている。その奥のブロック塀の前には三基の卵塔と六体の丸彫りの地蔵菩薩立像が打ち捨てられたかのように並んでいた。 ![]() 三基の石塔の右端 庚申塔 宝暦3(1753)塔の正面 梵字「ウン」の下に「青面金剛供養塔」下部に三猿。台の正面には蓮の花が彫られている。塔の右側面に造立年月日。その下に願主名。左側面には武州足立郡植田谷領中野林村 講中十五人と刻まれていた。 ![]() 中央がスケッチの地蔵菩薩坐像 享保17(1732)石塔の上、敷茄子も蓮台も厚みがあり堂々としている。 ![]() 柔和な表情のお地蔵様。円形の頭光背の左半分、頭部の右後ろの部分、右手に持つ錫杖の先、左手の宝珠の一部、半跏坐の左足の膝から先の部分と、いろいろなところが破損、また一部には剥落も見られる。酒井さんのスケッチでは頭光背は斜めにヒビが入っている状態で、錫杖の先っぽも健在。スケッチには04、4、2とあるが、私が初めてこの墓地を訪れた14.2.27には光背、錫杖の先はすでに欠けていた。 ![]() 塔の正面中央に「奉彫刻地蔵尊一軀」左脇に「為二世安穏也」台の正面中央に講中拾三人、左脇に願主二名の名前が刻まれている。 ![]() 塔の右側面は無銘。左側面に願文。裏面には武州足立郡植田谷領中野林村とあり、続いて造立年月日が刻まれていた。 ![]() 左の石塔は正面に五輪塔を半浮き彫り、その下に法印弘泉不生位。僧侶の墓石と思われる。塔の右側面に明和5(1768)年の紀年銘があるが、こちらはおそらく命日なのだろう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2019.05.29 21:04:28
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