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カテゴリ:酒井 正 石仏画の世界
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![]() 27P目は南区の四谷観音堂の薬師如来立像。舟形光背、梵字「バイ」の下に両手で薬壺を持つ薬師如来像を浮き彫り。光背両脇に延宝6(1678)貞享元年(1684)二つの命日と二つの戒名が刻まれていた。 ![]() 田島通りの四谷交差点のすぐ南、道路東側に観音堂の入口があった。参道の左脇に小堂が立ち、その周りに多くの石塔が集められ、右から奥が墓地になっている。 ![]() 小堂の中に六地蔵菩薩立像 宝永2(1705)お世話する方がマメなのだろうか、訪れるたびにその装いが変わっていて、この日はおそろいの麦わら帽子をかぶっていた。六地蔵の右脇に弘法大師供養塔 天保5(1834)、水屋の左脇のブロック塀の前に庚申塔の文字塔などが立っている。 ![]() 水屋の裏 庚申塔 宝永5(1708)駒形の石塔の正面 日月雲 青面金剛立像 合掌型六臂。邪鬼、二鶏、三猿が揃う。像はそれほど大きなものではなく風化も見られるが大きな欠損は見られない。下の石塔部が大きく充実していて、全体の様子が近くの沼影観音の庚申塔と似た印象を受ける。 ![]() その右隣 地蔵菩薩立像 安永2(1773)笠をかぶった丸彫りのお地蔵さまは珍しい。最近では戸田市美女木の妙厳寺の山門裏のお地蔵様(2019.05.21の記事)くらいか。像は全体に溶解が進むが、錫杖を持つ手の指だけがリアルに残っていた。 ![]() 墓地の南東の奥のほう、個人の墓所の中に二基の舟形光背型の石仏が並んでいる。こちらの二基は墓石で講中仏ではないが、浦和市教育委員会発行の「石の文化財」に二基ともに紹介されているので一般に取材OKということだ思う。 ![]() 左 阿弥陀如来立像。美しい形の舟形光背に素朴な顔立ちの阿弥陀如来像を浮き彫り。光背両脇にそれぞれ戒名と慶安3(1650)と寛文3(1663)の命日が刻まれていた。光背上部、梵字は彫が薄くなっているが諸仏全体を表す「ア」のように見える。「石の文化財」の解説では梵字「バイ」の下に釈迦如来としているのだが・・・ ![]() 右手の施無畏印、左手の与願印、いずれも親指と人差し指で輪を作っていて、来迎印の阿弥陀如来と考えたい。 ![]() 右が酒井さんのスケッチの薬師如来立像。やや幅の広い舟形光背、梵字「バイ」の下に腹の前に両手で薬壺を持つ薬師如来立像を浮き彫り。 ![]() こちらの命日は延宝6(1678)貞享元年(1684)阿弥陀如来のほうが先代のご夫婦の供養仏、こちらがその子供夫婦の供養仏だろうか。いずれにしても、二代にわたってこのような立派な墓塔を建立できたということはそれ相応の家柄ということなのだろう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2019.07.19 21:18:20
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