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私家版 さいたまの石仏

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☆いたやま☆

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自転車とカメラが趣味で、気軽に写真を撮っています。
お地蔵様や庚申塔などの石仏にはまってしまいました。

さいたま市の石仏探しの参考書として
「石の文化財-浦和の石造物」浦和市教育委員会
「郷土の石佛 写生行脚一期一会」酒井 正

私家版さいたまの石仏のホームページ版は
http://saita-seki.jimdo.com/

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2022.10.22
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カテゴリ:清瀬市の石仏
ホームページ「私家版さいたまの石仏」はこち​

今日は下宿にある古寺 圓通寺の石仏です。

圓通寺 清瀬市下宿2-521​[地図]


柳瀬川の南に広がる台田団地の東、旭が丘通りを越えた先にある市民体育館の奥の住宅街の中に、清瀬市最古の寺院といわれる圓通寺がある。南向きに山門が、さらにその東には市の指定文化財である大きな長屋門が立っていた。


山門の手前左脇の塀の前に四基の石塔が並んでいる。


左から道祖神 明治15(1882)自然石の前面に「道祖神」背面に造立年月日と願主名などが刻まれていた。


その隣 白カビがこびりつき、角が大きく欠けた角柱型の石塔。うっすらと見える銘から馬頭観音文字塔か?紀年銘も確認できず、造立年など詳細は不明。


続いて地蔵菩薩立像 寛政6(1794)笠付き角柱型の石塔の正面に地蔵菩薩立像を厚く浮き彫り。大きな欠損はなかった。


塔の右側面 梵字「アーンク」の下に「三界萬霊」その下に造立年月日。左側面には二つの戒名が刻まれている。


右端 庚申塔 慶応3(1867)角柱型の石塔はかなり風化が進んでいるが銘はなんとか判読可能。正面中央に「庚申塔」右脇に造立年月日。左脇に「南 大山」


塔の左側面、上のほうに「南」とありその下に□澤、府中。さらにその下に「大」正面にも「南 大山」とあり方向も重複するが、やはり「大山」の「大」なのだろうか?


塔の右側面は風化が著しく進みほとんど読めないが、やはり地名が刻まれていたのだろうか?下部に小さく願主と銘が確認できた。裏面は粗彫りで銘は見当たらない。


山門から手入れの行き届いた清潔な境内をのぞくと、本堂に向かう参道の左脇、白壁の前に多くのお地蔵様が並んでいるのが見えた。


左から六地蔵菩薩塔 弘化2(1845)三つの台の上にそれぞれ二基づつ丸彫りの地蔵菩薩塔。六体のうち三体は顔がのっぺらぼうだが、残った三体の顔はよく似ている。


六つの石塔の銘はほぼ同じ。正面にそれぞれの地蔵名。右側面に造立年月日。さらに東武多摩郡下宿とあり数人の名前が並び、最後に邨中と刻まれていた。


その隣 地蔵菩薩立像。下の台が本来のものではないのだろうか、紀年銘などは見当たらず造立年は不明。丸彫りで錫杖の先を欠いているが、宝珠は健在、穏やかな尊顔は慈愛にあふれている。


像の前部に銘が刻まれていた。「奉造立念佛講供養爲菩提也」念仏供養塔ということになるのだろう。


続いて地蔵菩薩立像。風化が進み、顔は溶解、体の前面も損傷がはなはだしい。


大きな蓮台と敷茄子に銘が刻まれていた。蓮台正面には願主名、その右脇に□永二と見えるのが造立年だろう。宝永2(1705)安永2(1773)嘉永2(1849)いずれとも判断できない。厚い敷茄子のほうの銘は武州多摩郡 清戸下宿 講中 □□廿三人 □□□人。講中仏である。


最後に三体の地蔵菩薩像。こちらも銘がなく詳細は不明。像の様子から六地蔵のうちの三体ではないだろうか。像のサイズは不揃いだが、破損断裂したものを一緒に台に収めたものか、残された顔はよく似通っていた。





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Last updated  2022.10.23 05:44:18
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