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カテゴリ:さいたま市西区の石仏
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今日から西区に入ります。10年ぶりの西区、前回は駆け足で回りましたが、今回はできる限り丁寧に見てゆきたいと思います。何か月かかるかわかりませんが、お付き合いください。 まずは島根の石仏から見てゆきましょう。 大泉寺墓地 西区島根413向い[地図] 県道57号線、西区に入ってしばらく北へ進むと島根交差点で道は大きく左へカーブする。次の押しボタン信号交差点を左折して100mほど先、道路右側に大泉寺墓地があった。入口から小堂が二つ並んでいるのが見える。 手前の小堂の中には二基の青面金剛庚申塔が並んでいた。 右 庚申塔 宝暦3(1753)笠付き角柱型の石塔の正面を深く彫りくぼめて、日月雲は外に、中に青面金剛立像 合掌型六臂。 高く結い上げた髪の頂点に蛇の頭がのぞく。持物は矛・法輪・弓・矢。 足の両脇に二鶏。邪鬼は頭を踏まれ苦しそう。三猿は左の猿が内向き、右と中央の猿が左向きと、ユニークな構図。一番下の台の主面に「講」と見える。たぶん講中だろう。 塔の右側面に造立年月日。その下に四名の名前が刻まれていた。 左側面 武州足立郡植田谷領嶌根邑 願主とあり、こちらは三名の名前が刻まれている。 左 庚申塔 享保3(1718)駒型の石塔の正面 日月雲 青面金剛立像 合掌型六臂。 やはり頭上に蛇を乗せている。こちらも持物は矛・法輪・弓・矢。 二鶏、邪鬼と足元の様子も右の庚申塔とよく似かよっている。三猿は中央が正面向きで両脇は内向き、ここだけが違っていた。 奥の小堂の中には二基の同じような規模の丸彫りの地蔵菩薩塔が並んでいる。 右 地蔵菩薩塔 宝暦4(1754)静かな表情で佇むお地蔵様。宝珠を持つ手が欠けていた。 角柱型の石塔の正面中央「當村念佛講男女」両脇に造立年月日。右側面に植田谷領 島根村と刻まれている。 左 地蔵菩薩塔 享保3(1718)四角い台の上、角柱型の石塔に蓮台に立つ丸彫りの地蔵菩薩像。こちらも左手の宝珠を欠く。 角柱型の石塔の正面中央に「講中敬白」両脇に造立年月日。左側面は無銘。右側面に嶋根村と刻まれていた。 入口左側、ブロック塀の前にも石塔が並んでいる。 道標 寛政12(1800)石塔上部は大きなくぼみ穴ができていて凸凹になっていた。全体を白カビが覆い銘は読みにくい。何回か試みてなんとか読み取れた。中央に北 あきは道。右下に嶋根村、左下に願主名。 右側面に造立年月日。左側面には 南 川こへミちと刻まれている。 その奥に六地蔵塔 寛政2(1790)舟形光背、梵字の下に地蔵菩薩立像を浮き彫り。それぞれの光背に施主名。左端の光背右脇に造立年月日が刻まれていた。 ブロック塀に沿って墓地の奥に進むと、右側に二基の石塔が並んでいた。 左 四国移霊場標石 天保7(1836)大きな四角い台の上 角柱型の石塔の正面に「弘法大師」左側面に造立年月日。さらに嶋根邑 願主とあり個人名。 正面「弘法大師」の右脇に小さな字で足立八十八ヶ所 第十番。左脇に十一番 ニ 十丁と刻まれている。 右側面 阿弥陀三尊種子の下「日本回國供養塔」両脇に天下和順・日月清明。真言宗の寺院でよく見られるスタイルの四国移霊場標石。こちらは回国供養塔を兼ねている。 右 大乗妙典六十六部供養塔 正徳3(1713)2mを超す背の高い緑色片岩の正面、上部に大きく梵字「ア」その下に「奉納大乗妙典六十六部供養成就所 謹白」塔のなかほど両脇に造立年月日。 下部右脇に武刕足立郡嶌根村、左脇に回國行者 柴崎清兵衛と刻まれていた。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2023.10.28 19:32:13
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