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私家版 さいたまの石仏

私家版 さいたまの石仏

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☆いたやま☆

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自転車とカメラが趣味で、気軽に写真を撮っています。
お地蔵様や庚申塔などの石仏にはまってしまいました。

さいたま市の石仏探しの参考書として
「石の文化財-浦和の石造物」浦和市教育委員会
「郷土の石佛 写生行脚一期一会」酒井 正

私家版さいたまの石仏のホームページ版は
http://saita-seki.jimdo.com/

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2023.11.23
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荒川右岸地域の石仏の最終回です。今日は二つの稲荷神社の石仏を見てみましょう。

稲荷神社 西区植田谷本村新田[地図]


治水橋を西に渡って、荒川右岸の土手道を北へ向かって下りてゆくと、左側の畑の中に稲荷神社があった。


庚申塔 享保4(1719)駒型の石塔の正面 梵字「ア」の下に日月雲 青面金剛立像 合掌型六臂?塔全体に風化が進み、彫りは薄く摩耗、像の様子ははっきりしない。特に向かって右側が破損がひどく右側面は削れていた。


向かって左側、合掌手以外の後の手はもともと半浮き彫りだったのか彫りが薄くなっていて、青面金剛の右肩のあたり、右ひじのあたりからもう一本、うっすらと腕が彫られているように見える。酒井さんはその間にも腕らしきものが見えるということで八臂かもしれないとしていたが、持物も見えず、今のところ六臂か八臂か不明とするしかないように思う。今回はどうやってもそのあたりはっきりした写真が撮れなかったので、10年前の写真を参考に見ていただくことにした。

DSC_0301.jpg
(10年の間にカビも増えて風化も進んだようだ)


足元も漠然としているが、邪鬼、二鶏は見当たらず正面向きの三猿だけが彫られてた。


塔の右側面は損傷がひどく銘は確認できない。左側面、右上から「奉造立庚申供養塔」その左に武刕足立郡植田谷本村新田。右下に造立年月日が刻まれている。

湯木自治会館・稲荷社前 西区湯木町1-52​[地図]


荒川の堤下の道をさらに北へ300mほど進み、左折して細い道を西に向かうと、神社の鳥居の右手前に小堂が立っていた。小堂の右奥に湯木自治会館が立っている。小堂は正面だけオープンで残りの三面はアクリルの透明な板。背面にはさらにオレンジ色のボードが貼られていて裏からは何も見えない。


左 地蔵菩薩立像 宝暦5(1755)四角い台に上、角柱型の石塔に蓮台に立つ地蔵菩薩像。


細長くお地蔵様らしくない顔立ちで、なんだか人間臭い。江戸で像があらかたつくられたイージーオーダーではなく、地元の石工さんの仕事かもしれない。錫杖の先は削れていた。


石塔の正面に偈文。右側面に武刕足立郡植田谷領遊馬村。願主とあり二名の名前。続いて並木 中郷中。


左側面に「寒中念佛塔」表現は変わっているが寒念仏供養塔ということだろう。続いて戒名が二つ。裏面の右端に造立年月日が刻まれていた。


右 庚申塔 安永7(1778)笠付き角柱型の石塔の正面 日月雲 青面金剛立像 剣・ショケラ持ち六臂。気が付いて見ると西区に入ってから剣ショケラ持ちは少なく、植田谷本霊園の庚申塔いらい、これが2件目。あとは全部合掌型だった。この地域の特徴だろうか?


堀は明快。すみずみまではっきりしている。持物は矛・法輪・弓・矢とノーマル。


足の両脇に二鶏。足元の邪鬼は頭頂部と腰を踏まれている。昔音楽室で見た作曲家かつらのような髪型の邪鬼。これもときどき見かける。その下に両脇が内を向く三猿が彫られていた。



塔の右側面に造立年月日。左側面 遊馬邑 願主とあり、3名の名前。真ん中は「おつな」とひらがなで、どうやら女性らしい。

これで荒川右岸地域の石仏を終わり、いよいよ北へ向かって進みますが、一度水判土に戻り、県道57号線に沿って佐知川、土屋、西遊馬を見てゆきたいと思います。よろしくお願いします

さて、​ホームページ「私家版さいたまの石仏」​の桜区の石仏の記事を全面面改訂いたしました。よろしかったらのぞいてください。





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Last updated  2023.11.23 20:10:13
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