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私家版 さいたまの石仏

私家版 さいたまの石仏

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☆いたやま☆

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自転車とカメラが趣味で、気軽に写真を撮っています。
お地蔵様や庚申塔などの石仏にはまってしまいました。

さいたま市の石仏探しの参考書として
「石の文化財-浦和の石造物」浦和市教育委員会
「郷土の石佛 写生行脚一期一会」酒井 正

私家版さいたまの石仏のホームページ版は
http://saita-seki.jimdo.com/

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2023.11.21
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塚本町の北、飯田新田の石仏を見てみましょう。

薬師堂船戸寮 西区飯田新田452​[地図]


県道56号線、びん沼川に架かる船渡橋の東詰から川沿いに北へ進むと道路右側に墓地があった。


入口から入って右側を見ると、フェンスの前に多くの地蔵菩薩塔が並んでいる。舟形光背型のお地蔵様はいずれも墓石だった。


右端 六地蔵塔 昭和62(1987)台の正面に張られたプレートに四人の世話人の名前が刻まれている。


入口の左側には丸彫りの四基の地蔵菩薩塔。その奥には多くの無縁仏が集められていた。地蔵菩薩塔の向こうのブロック塀の前にもいくつか石塔が並んでいる。

大小さまざま、丸彫りの地蔵菩薩塔。左の三つは江戸時代のものだが戒名などが刻まれていて墓石だった。



右端 地蔵菩薩塔 昭和9(1934)二段の四角い台の上に角柱型の石塔。その上に厚い蓮台に立つ恰幅のいい地蔵菩薩像。


角柱型の石塔の正面に「治水地蔵」左側面に治水橋仮設工事成功祝賀協賛會とあり、治水橋の完成時に造立された「橋供養塔」ということらしい。昭和62年に造立された六地蔵塔といい、この昭和初年に造立された「橋供養塔」といい、現在にまで厚い信仰心が残された土地柄なのだろう。


その奥のブロック塀の前に三基の石塔が並んでいた。


左 馬頭観音塔 。角柱型の石塔の正面、独特な書体で「馬頭觀世音」下の四角い台の正面に「連經講中」連經=観音経である。


塔の右側面 右 与野 大ミや 岩川き 道。道標になっていた。「岩川き」だが。川→津で「岩つき」になる。ことば遊びのようなものだろうか。


塔の左側面 左 飯田渡舩 川古へ 道。台の左側面に飯田村とあり10名の名前、本村上新田とあり4名の名前、最後に領家村と刻まれている。台の右側面は隣の石塔の台とくっついていて銘は確認できなかった。造立年月日が見当たらないのはこのためだろうか?

その隣 庚申塔 元禄6(1693)大きな宝珠を乗せた唐破風笠付き角柱型の石塔の正面 日月雲 青面金剛立像 合掌型六臂。


頭に蛇を巻いた青面金剛。顔は削れている。持物は矛・法輪・弓・矢。矢が二本というのは珍しい。


足元に邪鬼の姿は無く、両脇の猿が内を向く構図の三猿だけが彫られていた。三猿の下の部分、カビで白くなった中に十数人の名前が刻まれている。


塔の左側面「奉新造立寒念佛供養二世安樂也」寒念仏供養の庚申塔というのは記憶にない。他に例があるだろうか?


右側面中央に武刕足立郡植田谷領飯田村。両脇に造立年月日。下部右端に施主 定印とあり、続いて「おひさ」以下9名の女性の名前が刻まれていた。


最後は牛頭観音塔 昭和27年(1952)角柱型の石塔の正面「牛頭觀世音」両脇の紀年銘は命日。馬の供養のために馬頭観音があるのなら、牛の供養のために牛頭観音があってもいいだろうということか、今までもいくつか牛頭観音塔に出会ったことがあるが、江戸時代のものはあまりなく、比較的新しいものが多いようだ。


塔の左側面に造立年月日。祭主として個人名が刻まれていた。

八幡神社 西区飯田新田367​[地図]


薬師堂船戸寮の北東にある飯田新田の「村社」八幡神社の本殿裏に石塔が立っている。


木立の中に弁財天供養塔 正徳3(1713)笠付き角柱型の石塔の正面「奉造立弁戝天尊像諸願成就攸」両脇に造立年月日。


塔の右側面下部に講中とあり4名の名前が刻まれていた。


左側面には願?主 3名の名前。願主3名講中4名ではバランスが悪い気もするが・・・


銘から考えて単独の文字塔ではなさそうだ。ふと左奥を見ると像塔らしきものが見えた


舟形光背に浮き彫りされた坐像。右手に剣?左手に宝珠をもった姿は桜区の新開橋南にある弁天社で見た「宇賀神弁財天」と似ている。この坐像、文字塔の笠とほぼ同じサイズ、もしかしたらこちらが正徳3年造立の弁財天像かもしれない。(参考までに新開橋南の弁財天像の写真をあげておきます)






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Last updated  2023.11.21 20:28:00
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