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カテゴリ:さいたま市西区の石仏
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今日は西区の最終回、内野本郷と西新井の石仏です。 内野本郷住宅街角地 西区内野本郷1046[地図] 清河寺交差点から「扇通り」を東に進み、上尾道路を越えて次の交差点を左折、北へ100mほど進むと、道路左側の住宅の脇に小堂が立っていた。中には二基の庚申塔が並んでいた。 左 庚申塔 享保5(1720)駒型の石塔の正面を二重に彫りくぼめた中、日月雲の下「奉造立庚申待供養塔」両脇に造立年月日。 塔の下部に正面向きに座る三猿が彫られている。 塔の右側面に内野本江村中。左側面に施主 講中と刻まれていた。 右 庚申塔 貞享5(1688)駒型の石塔の正面 日天、月天の間に「(奉)念庚申供養之結衆二世安樂之所 敬白」両脇に造立年月日。 下部に正面向きの三猿、主尊らしい存在感がある。三猿の下の部分には上下二段に20名の名前が刻まれていた。 八雲神社 西区内野本郷435-10隣[地図] 上尾道路を東に越えてはじめの交差点を右折、細い道路に入りすぐ先を左折して、道なりに下ってゆくと八雲神社の前にでる。社殿の左、大小並ぶ境内社の先に石塔が立っていた。 庚申塔 天明元年(1781)駒型の石塔の正面「庚申塔」両脇に造立年月日。下部に三猿。塔の真ん中に斜めに断裂跡があり、針金で補強されている。先日クジラさんから情報をいただいた。この庚申塔は以前ここから南東100mほど離れた道路脇の木の下にあったもので、その所有者がなぜか大金槌で叩き割ったらしい。その後、自治会が八雲神社に移してお祀りしているとのことである。 三猿は正三角形の位置に彫られていた。この構図はどこかで見たことがあるような気もするが、ちょっと珍しい。上の聞か猿は足をM字に開いてニヤリ、その下の見猿と言わ猿は、向き合って座り何か相談ごとでもしているかのよう、変わった三猿だ。 西新井稲荷神社 西区西新井65[地図] 上尾道路の西新井交差点から100mほど南、側道の脇に西新井稲荷神社があった。その左脇に三基の石塔が並んでいる、 庚申塔 元禄13(1700)舟形光背に日月雲 青面金剛立像 合掌型六臂。塔全体に白カビが多い。 上部の日月雲は線刻。光背右脇「奉建立疾除 安全之所」左脇に造立年月日。青面金剛の足の両脇に二鶏が彫られていた。 足元には正面を向いて座る三猿。その右脇に新井村。左脇に願主友学敬白。三猿の下には16名の名前が刻まれている。 中央 三宝荒神塔 嘉永5(1852)駒型の石塔の正面を深く彫りくぼめた中「三寶大荒神」 右 庚申塔 享保19(1734)宝珠を乗せた大きな唐破風笠付き角柱型の石塔の正面 日月雲 青面金剛立像 合掌型六臂。 頭上に蛇を乗せたどんぐりまなこの青面金剛。持物は矛・法輪・弓・矢。 足元の邪鬼は背中を踏みつけにされながらも不敵な目つき、正面をにらみつけていた。その下に両脇が内を向く三猿、足を投げ出して座る。 塔の右側面「奉造立庚申待供養塔」 左側面に造立年月日。その横に武刕足立郡新井村。その下に講中とあり、三段合わせて21名の名前が刻まれていた。 以上で西区の石仏を終わります。若干の宿題を残していますが、いずれのちほど・・・ 今回の「再訪西区の石仏」は昨年の10月28日島根の大泉寺墓地から始めて約三ヶ月、10年ぶりに訪ねてみて前回よりは少しは丁寧に見ることができました。新しい発見もいくつかあり、とても楽しかったです。 ここまで南区、桜区、西区とさいたま市内の西のほうをぐるっと見てきました。次は中央区、浦和区、大宮区、北区と進み、最後に東の緑区、見沼区という予定です。よろしくお願いいたします。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2024.01.26 19:14:46
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