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私家版 さいたまの石仏

私家版 さいたまの石仏

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☆いたやま☆

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自転車とカメラが趣味で、気軽に写真を撮っています。
お地蔵様や庚申塔などの石仏にはまってしまいました。

さいたま市の石仏探しの参考書として
「石の文化財-浦和の石造物」浦和市教育委員会
「郷土の石佛 写生行脚一期一会」酒井 正

私家版さいたまの石仏のホームページ版は
http://saita-seki.jimdo.com/

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2024.01.24
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今日は清河寺二か所の石仏を見てみましょう。

清河寺ふれあい会館 西区清河寺745​[地図]


県道157号線と県道216号線の交差する清河寺交差点は、東西に走る「扇通り」を合わせて六差路交差点になっている。交差点から県道157号線を北へ200mほど進むと、道路左側の消防小屋のあたりから斜め左に入る細い道があり、その80m先、左手に清河寺ふれあい会館がたっていた。裏にこじんまりとした墓地があり、墓地の北東の隅に卵塔をはじめ多くの石塔が整然と並んでいる。


その最後列左端 念仏供養塔 元禄8(1695)多くの石塔が肩を寄せ合うように並んでいて、塔の全体をうかがうことは難しい。角柱型の石塔の正面「奉讀誦百万遍念佛供養敬白」上部両脇に造立年月日。下部、清河寺村 願主とあり、その下に十数名の名前が刻まれていた。

清河寺 西区清河寺792​[地図]


会館から先は道は左にカーブして清河寺の入口の前にでる。入口から長い参道が続き、奥に山門が立っていた。


山門右手前 観音霊場供養塔 文化8(1811)四角い台の上の隅丸角柱型の石塔の正面「西國坂東秩父 南無觀世音菩薩」台の正面に講中と刻まれている。


塔の左側面に造立年月日。右側面に「百箇所順禮諸願成就皆令満足」


台の右側面、右端に清河寺村講中とあり14名の名前。


左側面には右から新井村とあり6名、宮野前村とあり4名、中荒井村1名、合わせて11名の名前が刻まれていた。


山門左手前 観音霊場供養塔 安永4(1775)四角い台の上の隅丸角柱型の石塔の正面「奉納 西國秩父坂東百箇所諸願成就供養塔」正面は白カビが多い。


塔の右側面 武州足立郡清河寺邑。その下二段に10名の名前。


左側面に造立年月日。その横に坂東三十番札所。札所標石になっている。下部には4名の名前が刻まれていた。左端の名前は永昌寺の石塔によく見られた名前で、肩に北貝戸村とついていて高木村の有力な庄屋さんではないだろうか。


山門を入ると参道右にある鐘楼の前に石仏が並んでいた。


右から 念仏供養塔 安永6(1777)反花付き台の上の角柱型の石塔に丸彫りの地蔵菩薩立像。像に大きな欠損はないが首に補修の跡が見える。


厚い蓮台の下 石塔の正面を彫りくぼめた中、中央に「奉建立念佛供養」両脇に造立年月日。


塔の右側面に武刕足立郡清河寺村。その横に施主村中。


左側面には戒名がいくつか並び、最後に宮前村 施主三人と刻まれていた。


その隣 念仏供養塔 正徳元年(1711)四角い台に反花付き台、角柱型の石塔の上に丸彫りの地蔵菩薩立像。やはり首に補修跡が見える。


塔の正面を彫りくぼめた中、中央に「奉建立念佛供養」右脇に武刕足立郡清河寺村。左脇に造立年月日。


塔の三つの面に童子、童女など、多くの戒名が刻まれていた。


続いて無食供養塔 元文6(1741)美しい形の舟形光背に地蔵菩薩立像を浮き彫り。光背も像もかなり白カビが多い。


光背右脇に大きく「無食供養佛」西区で七基目の無食供養塔である。光背左脇に造立年月日。


右下に武州足立郡、左下に施主四十五人。足元の部分に大きな字で清河寺村と刻まれていた。


その隣 丸彫りの六地蔵塔。六体はよく揃っている。銘が見当たらず造立年などはわからないが、そう古いものではないようだ。


六地蔵塔の裏に如意輪観世音塔 文政10(1827)この石塔は資料に記載がなく10年前に取材したときも全く気が付かなかった。角柱型の石塔の正面「如意輪觀・・」右脇に造立年月日。左脇に北 上尾 原市 道。如意輪観音の文字塔は珍しい。


両側面も道標になっている。ただ銘は薄くなっていて読み取れず、写真もうまく撮れなかった。塔の右側面 西 □村 十丁、右□□村 十八丁。


左側面は上のほうに東 よの、左 大宮。その下に清河寺邑 願主一名、世話人二名の名前が刻まれていた。今回は時間が取れず、いずれ取材し直したい。


左端 三界万霊塔 天保5(1834)大きな四角い台の上、角柱型の石塔の正面「三界萬霊十方至聖」


塔の両側面には細かい字でびっしり、多くの名前が刻まれていた。風化が進み彫りも薄くなっていて、全部を読み取ることは難しい。よく見ると中に寄付金額らしいものもあり、近隣の村々からも多くの寄進者があったのだろう。


裏面の右端に文政十三年、左端に天保五甲牛年、二つの紀年銘が確認できた。白カビが多く周りの銘はほとんど読み取れないが、ここでは天保5年を造立年としておく。


本堂の前から左に進むと、墓地の入口に石塔が立っていた。


一石六地蔵塔 元禄元年(1688)舟形光背に六体の地蔵菩薩立像を浮き彫り。像は経年のため摩耗し、尊顔はいずれもほぼのっぺらぼう。350年という長い歳月を感じさせる。


塔の上部に「奉造立六地蔵尊佛菩提」さらにその上にも銘が残っていて、ひとつは「爲」だろうか、その左は判読できなかった。


塔の右側面に造立年月日。左側面に施主 善女人都合四十九人、童男童女二十八人と刻まれている。





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Last updated  2024.01.25 13:49:35
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