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私家版 さいたまの石仏

私家版 さいたまの石仏

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☆いたやま☆

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自転車とカメラが趣味で、気軽に写真を撮っています。
お地蔵様や庚申塔などの石仏にはまってしまいました。

さいたま市の石仏探しの参考書として
「石の文化財-浦和の石造物」浦和市教育委員会
「郷土の石佛 写生行脚一期一会」酒井 正

私家版さいたまの石仏のホームページ版は
http://saita-seki.jimdo.com/

2013.11.19 ブログ開設
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2024.05.24
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中尾南地区から国道463号線越ケ谷街道を越え、中尾の北部に移ります。

吉祥寺 緑区中尾1410​[地図]


国道463号線越谷街道の緑区役所北交差点から300mほど東、区役所と図書館を過ぎた次の信号交差点を左折すると吉祥寺の入口があった。長い参道を進むと正面に江戸時代初め頃の建てられたという茅葺屋根の山門が立っている。国道から奥まっているためだろう、あたりは驚くほど静かだった。


山門左手前に二つの小堂。左は六地蔵菩薩塔、右は大きな丸彫りの地蔵菩薩塔が祀られている。


左 丸彫りの労地蔵菩薩塔 文政3(1820)角柱型の石塔の上、蓮台に立つ六体の地蔵菩薩像は顔の様子もよく揃っていてる。それぞれの台に戒名や「爲先祖代々菩提也」「一切精霊菩提也」などの銘が刻まれ、施主も中尾村、芝原などから数人の名前が見える。命日も古くは明和3(1766)から寛政、享和、文政まで、いくつか確認できた。


銘は薄く読みにくい。10年前は右端の石塔の右側面にあった享和元年(1801)を造立年月日としたが、今回見直してみると、左端の石塔の正面に文政3年の紀年銘があり、その下に當所願主として二名の名前が刻まれていた。こちらを造立年月日と考えるべきだろう。それにしても10年前、基本的な確認をおろそかにしたまま記事にしたことは、当時初心者だったとはいえやはり恥ずかしい。


右 地蔵菩薩塔 享保8(1723)2mを超す堂々たる丸彫り大地蔵菩薩立像。静かな表情の尊顔は慈愛に満ちている。


角柱型の石塔の正面を彫りくぼめた中に「奉造立地蔵菩薩」右側面に造立年月日。


左側面には施主 當寺惣檀中と刻まれていた。


山門から境内に入る。庭木も多く手入れの行き届いた気持ちの良い境内である。参道左側、鐘楼の手前に大きな石塔が立っていた。


徳本名号塔  文政4(1821)四角い台に反花付台を重ね。さらに四角い敷茄子とやはり四角い蓮台。その上の角柱型の石塔の正面に独特の書体で「南無阿弥陀佛」その下に署名と花押。塔の左側面に造立年月日。右側面には歌が刻まれていた。


反花付台の正面中央に「念佛講中」右脇に世話人とあり中尾村、大間木村、大谷口村、大田久保村から各一名の名前。左脇にも世話人とあり井沼方村、付嶋村、領家村、中尾村から各一名の名前。合わせて七ヶ村、八名の世話人の名前が刻まれていた。


その両側面には右端に金百疋とあり、それぞれ十数名の寄進者の名前が刻まれている。


一方、その下の四角い台のほうは、正面は全体が見ていないのではっきりしないが、三面ともに金貳朱とあり、やはり十数名の寄進者の名前が刻まれていた。金額の多寡はともかくとして、相当広い範囲の村々から多くの人たちが協力したものらしい。


本堂の右側に大きな墓地が広がっていた。その中頃にある歴代住職の墓地の中に3mを超す大きな丸彫りの仏像が立っている。阿弥陀如来坐像 元禄元年(1688)大変美しく貴重な石仏だが、現在は関係者以外の墓地への出入りは認められず、こちらを生で見ることは難しそうだ。

駒前公民館 緑区中尾942​[地図]


国道463号線バイパスの中尾陸橋下交差点から150mほど東の細い道を南に入ると左手に駒前公民館が立ち、奥が墓地になっていた。


公民館に向かい合うように、敷地の南に石塔が並んでいる。


右 庚申塔 享保2(1717)四角い台の上の笠付き角柱型の石塔の正面 日月雲 青面金剛立像 合掌型六臂。笠は新しく補修されたもので不自然な感じを受ける。


やや風化は見られるものの、彫りはしっかり残っていた。持物は矛・法輪・弓・矢。足の両脇に二鶏を半浮き彫り、


足元に頭を右にして、磐座に寝そべる全身型の大きな邪鬼。三猿は四角い台の正面のほうに彫られている。


塔の右側面「奉造立青面金剛尊容一躰爲二世安樂也」


左側面に造立年月日。その下に施主 駒前芦屋 男女三十一人と刻まれていた。


その横に六地蔵菩薩塔 宝暦10(1760)舟形光背の色、形が微妙に違って見えるが、六体の地蔵菩薩像の顔の様子などはよく似ていて統一感はある。


右端の地蔵菩薩は宝珠を持つはずの左手を欠いている。光背右脇に宝暦十年の紀年銘が刻まれていた。





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Last updated  2024.05.27 04:49:04
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