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カテゴリ:体験記
12年間、顕正会で、信心をしてきたことを「フッ」と思い出してしまうことってあるんですよね。 いい思い出は無いですけれど・・・
私が顕正会の話を聞いた頃は、『日蓮大聖人様』を見つめる信心の大事をたたきこまれていたと思います。
お応えするのは日蓮大聖人様のお心にですし・・・・ 見つめる先は日蓮大聖人様ですし・・・・
因果の法則も折伏の大事も日蓮大聖人様を見つめて、成仏を見つめて・・・・・
自分自身のため、家族のために、生活のすべてをかけて御奉公に打ち込んでいた・・・・と、言っても過言ではないと思います。
毎月、交通費や新聞、テープ、ビデオ(DVD)、書籍に費やすお金は6万~7万てな感じです。 それ以外に、新聞年間購読・広布御供養などにかかるお金・・・・
12年間で、いくら使ったかな~
現在は、蓄えも底をついたまま・・・
必ず返ってくると信じて、今が苦しくても、罪障が消えたら、生活も一変すると信じて、そりゃ~必死に信心していました。
なのに、このことが、全部・・・・う・そ
それどころか、新たな罪障として自分の上にのっちゃってるんです。 福徳がプラスされたのではなく、罪障がプラスアルファ~・・・・・・(泣)
歯を食いしばり、いろんなものを失っても、日蓮大聖人様は御照覧であるから、必ず救われる、お任せでいれば守られる・・・・
そんなこと、全くなかったです。
しかも、下種すらされていなかったことになる・・・・ あれだけ一生懸命に唱えていたお題目は何であったのか?????
御宗門で、正しく信心していても、フッと・・・・がんばってきた12年間が・・・罪障を割り増ししただけであった事実に、涙がこぼれます。
ただ、ただ、幸せになりたかっただけなのに・・・ 不幸になるために信心していたわけではないのに・・・・
顕正会で、見つめていたはずの日蓮大聖人様には、何にも伝わっていなかった・・・・・
この歳で、これから、積んでしまった12年分の罪障と前世からの罪障を消滅するのにどれだけの日々を「まだまだ」と耐えながら過ごさなければならないのだろうか・・・・
全く日蓮大聖人様は関係ない邪宗から、正義に目覚めたのなら受け止め方も違っていただろうに・・・・
生半可な教義を教え込まれ、日蓮大聖人様を見つめて来た人間にとって、すべてを否定して、1からやり直すのは、厳しい。
12年間・・・大聖人様を見つめて来ただけなのに・・・・罪障を増やしただけ・・・・ このことが、涙になってあふれることがあります。
私は、本当に今生で罪障をすべて消せるのだろうか・・・・
日蓮大聖人様を見つめていれば、必ず大丈夫! 何があっても大丈夫!
そのことを疑ってるわけではないはずなのに、心は「フッ」と寂しさと葛藤を起こしてしまう。
大聖人様を見つめて来たはずの12年を取り戻したい・・・返してほしい・・・・
そんな葛藤があるんです。
1日でも早く、顕正会での嫌な思い出も、へんてこりんな教義もきれいさっぱり体中から抜けてほしい~~
こんどは、間違いなく、日蓮大聖人様を見つめているのだから・・・
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