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2009.10.31
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カテゴリ:民俗学
一夢庵 怪しい話 第3シリーズ 第631話 「女番長伝説」

 不良の定義は時代によって異なるのですが、不良学生の段階で踏みとどまって途中でカタギの世界に引き返せるか、本格的にヤの字の付く業界へ就職するかは、”運”と”偶然”が少なからず左右するという説があります。

 それはさておき、学生の不良グループといえば、そのトップに番長が君臨するというのが定番の組織形態で、それが女性の場合の呼称が女番長ということになるのですが、表看板として立っていると家族や世間が五月蠅いし、警察が介入するようになったときにマズイといった理由で裏で間接統治している人がいれば男女を問わず”裏番”ということになります。

 ただし、今回のお題である”女番長を”おんなばんちょう”と読むか”スケバン”と読むかは好みの問題で正解が無かったりしますから、全体にかなりアバウトな業界のようです(笑)。

 ちなみに、武闘派の女番長というかスケバン集団が全盛を極めたのは、1960年代末から1970年代中頃にかけてをピークに次第に沈静化していったのですが、社会が混沌から安定へと変化したことも大きかったのかもしれません。

 つまり、1964年の東京オリンピックの頃から、こつこつ勉強して、良い学校に進学して、大手の会社に就職すれば、角材や鉄パイプで人をどついたり、火炎瓶や石を見ず知らずの相手に投げつけたりしているよりも、確実に手っ取り早く豊かな生活が約束される時代が到来するようになったわけです。

 もう一つの変化の象徴年は大阪万博の1970年で、急速に回復した戦後の日本経済が一段落し、急成長の歪み ・・・ 例えば公害問題とか ・・・ の解消ないし軽減が求められる安定・調整期に入ったのではないかと。

 この頃のリアルな女番長が絡む事件ということでは、1971年に埼玉県の非行グループ”関東連合学生会”の摘発で、逮捕された300余名の少年グループの中に16名の女子高校生が含まれていたあたりで、女番長が伝説になったと言えます。

 あっちこっちで女子高校生が学校の看板をかけてタイマン勝負をしていたようで、その手の話には事欠かないのですが、それも1974年の豊島区の護国寺墓地で女子高校生29名が大乱闘を繰り広げたのをピークに次第に沈静化していったようです。

 念のために書いておくと、護国寺墓地の大乱闘騒動では、鉄パイプや角材といった学生運動では定番の武器も用いられた武装闘争で、ブルースリー映画の影響かヌンチャクの類まで使用されたようです。

 ま、早い話、暴れている暇があれば働いて稼いだ方がよほど現実を変える事ができる時代が到来していた、1964~1984年くらいの日本の20年間というのは、”一億総中流”という言葉に代表されるように、少なくとも、まっとうに働いた努力に比例して豊かになれた時代だったといっても過言では無かったのではないかと。

 話を女番長に戻すと、TVドラマ「プレイガール」の第203話が”女番長 対 プレイガール(1973)”といういかにもキワモノなタイトルと内容なのですが、放送された1973年というのは、邦画における女番長ものがピークを迎えた年でもあり、東映の”恐怖女子高校シリーズ”(といっても4タイトルですが)が伝説になっています。

 というか、恐怖女子高校の2タイトルで主演だった池玲子は実際に当時17歳ですから、年齢的には現役女子高生とタメだったわけで、作品内容から考えても、21世紀の日本だと撮影することが年々不可能になってきているのではあるまいか?

 ちなみに、女番長映画は、1960年代の終わり頃からヤクザ映画のバリエーションの一つとして「女番長・仁義破り(1969)」とかが世に出るようになったのですが、1970年に、本社ビルを売却するところまで経営が傾いていた日活の救世主となった実写版「ハレンチ学園(永井豪)」が風向きを変えたとされています。

 つまりハレンチ学園の併映作品が、伝説のカルト映画として知られる”女番長・野良猫ロック”だったということで、既に伝説になっています。

 もっとも、当時は新人の和田アキ子を売り出すために主役とした映画だったのですが、伝説のカルト映画とされているのは、準主役が梶芽衣子だったことで、梶芽衣子の快進撃が始まることになります。

* 和田アキ子の公式デビューは1968年。

 和田アキ子を女番長キャラクターとして売り続けるつもりだったのかどうかは微妙ですが、少なくとも、彼女が参加した初期の映画は、”不良番長 一獲千金(東映・1970)”と”女番長 野良猫ロック(日活・1970)”くらいですから、あの抜群の歌唱力に裏付けされたヒットが出て無ければ、女番長路線の女優業が延々と続いた可能性は捨て切れません。

 というか、その後も和田アキ子は”女番長”のイメージを上手に使って、バラエティ番組などで司会として活躍しているわけですから、和田アキ子にとっても記念碑的な作品ではあるわけです。

 なにはともあれ、「ハレンチ学園」との併映という幸運もあったのですが、「野良猫ロック」はシリーズ化されて全5作が作られ、初期の女番長映画の金字塔となり、他の映画会社は野良猫のヒットに追随する形で女番長ものを1970年代に量産することになります。

 この物騒な時代の女番長に関しては、髪にはパーマをあてて眉を細く剃り、長いスカートをズルズルひきずり、マスクをして、チェーンを振り回すといった描写が漫画の”さすがの猿飛(、細野不二彦:1980~1984)”の中に出てくるのですが、さすがの猿飛の頃には既に過去の遺物というか、時代遅れのスタイルとしてからかいネタになっていたようです。

 あるいは、同時期に、普通の女子高校生がヤクザを相手に暴れる、映画”セーラー服と機関銃”が薬師丸ひろ子の主演(1981)で大ヒットしたのですが、逆に言えば、世の中ではいかにもな武闘派の”女番長”は過去の伝説となっていたわけです。

 それは、”ケロロ軍曹(吉崎観音:1999~)”で美味しいところをさらっていく伝統的なヒロインである、モアちゃん(アンゴル=モア)の、ガングロ女子高校生という、連載開始当時には珍しくなかった仕様が、今となっては何のことかわからなくなるくらいに希少種になっているのと似た現象かもしれませんが、女の子業界のトレンドの移り変わりは早いという程度の理解でいいのかもしれません。

 このあたり、女番長とガングロギャルを同列に論じていいのかどうかは疑問の残るところですが、そのいずれもが、”卒業”してカタギの世界になんとか適応しようとしていることを考えると、特殊なファッションの一種だったのかもしれません ・・・

・・・ まあ、一般社会に適応しようと努力した結果として増殖しているヤンママに代表されるように、それはそれで一つの文化というか分化になっていくのかもしれませんが、既に日本は階級社会になってきていますからそれはそれでいいのかもしれません(笑)。

 もちろん、外観と呼称が変わっただけで、その手の武闘派の女の子達がいなくなったわけではありませんが長くなって参りましたので、その辺りのことはまたの機会に(笑)。

初出:一夢庵 怪しい話 第3シリーズ 第631話:(2009/10/26)





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Last updated  2009.10.31 01:31:40
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