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2011.01.20
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カテゴリ:宗教
一夢庵 怪しい話 第4シリーズ 第013話 「始祖の足跡」

 旧約聖書が、中東近辺で誕生した宗教に共通した聖典になっているというのは比較的知られた話で、ユダヤ教、基督教、イスラム教といった違いを越えて愛読する信者が珍しくありません。

 もちろん、それぞれの逸話をどのように解釈するか?といったあたりは宗教によって違ってくることもあるようですが、過去に実際にあった出来事の記録と考える人も珍しく無いようです。

 まあ、旧約聖書の出来事が全て100%真実だったとはさすがに思いませんし、人の手で何度も書き写したり、異なる言語に翻訳していく過程で欠落や誤訳の類が紛れ込んでいくことは不可避の現象ではないかと考えています。

 また、例えば”雨”という表現で一般的な日本人が連想する雨が降っている光景と、年間の降雨量が何ミリという砂漠地帯に住む人が連想する雨が降る光景はかなり違っているでしょうし、熱帯特有のスコールの光景ともまた違っているのではないかと。

 技術の進歩という面では、口伝えや単なる文字の羅列や簡単な挿し絵程度で情報を伝達するしかなかった時代から、書籍はもちろん、インターネットなどの電脳空間で写真や動画の映像がカラーで閲覧できるようになってきているのは御存知の通り。

 もっとも、だからといって同じ一つの事象をどのように解釈するのか?には多様性があるといいましょうか?人は自分の信じたいように信じる傾向が顕著にあるといいましょうか、ま、今回はそういった話になります。

 旧約聖書が少なくとも3つの宗教にとって聖典の一つとされているように、幾つかの宗教で共通した聖地とされている場所があり、中東のエルサレム周辺もまたユダヤ教、基督教、イスラム教などにとって聖地とされていて、その実効支配を巡る争いが未だに絶えないのは御存知の通り。

 ところが、仏教、ヒンズー教、・・・、基督教、イスラム教など複数の宗教の信者に聖地として支持されていながら、現地の実効支配などを巡る争いが起こっていない、聖地の共有というある意味で不思議な場所になっているスリランカのスリーパーダという山の頂が知られています。

 スリーパーダはアダムス・ピーク(アダムの頂)という別名でよばれることがあるのですが、その山頂の岩に”人の足形のようなものがある”ことから、仏教徒だと”釈迦の足跡”、ヒンズー教徒だと”シバ神の足跡、旧約聖書のグループだと”アダムの足跡”といった解釈に人気があるようです。

 正確には、仏教徒にとって 紀元前6世紀に仏陀が3度スリランカを訪れていて、その3度目の来訪時にスリーパーダを訪れて一晩を過ごし、その時に残した足跡とされているようです。

 旧約聖書グループで人気があるアダムの足跡という説に関しては、細かく見ていくと、基督教は失楽園で外界へ追放されたアダムが地上に初めて降り立ったときの足跡、イスラム教は単にアダムが地上に降りたときの足跡とか、アダムが千年間片足立ちの修行をしたときの足跡といった説が支持されているようです。

 話がきな臭くなるのは、やはり一部の基督教徒が主張する、南印度やスリランカに基督教を伝えた十二使徒の聖トマスのものという説で、さすがにそれってどうよという気がしないでもありません。

 というか、以前にも触れた事があるのですが、基督が家族から離れて消息不明になっている若い頃に、印度あたりまで放浪の旅をしていて、その際、基督本人が印度の辺りまで旅をして現地の宗教を学んだり、逆に印度の宗教業界に(ユダヤ教などでは既に確立していた)”信者の組織化”、”教えの体系化”といった概念と変化をもたらせたという説もあります。

 つまり、放浪していた若き日の基督の足跡であっても不思議ではないと怪しい話としては言いたいのですが、流石に基督教徒がそういった主張はしていませんから(笑)、怪しい話における仮説の一つということにしておきます(笑)。

 また、山岳信仰が当たり前のように定着している日本の場合、富士山登山との共通性など日本の山岳信仰との共通性に気が付くそうですが、各種の宗教が渡来する以前から、スリランカの先住民族であるヴェッダ人によって山そのものが崇拝されていたようで、島の守護神4柱の1柱である”サマン”から、”サマナラ・カンダ(蝶の頂)”と呼んでいるそうです。

 スリランカでは4番目に高い山だそうですが、標高は2238メートルで、山頂まで徒歩で登って4時間程度はかかるようですが、山頂には足跡を仏陀の足跡として祀っているかなり立派な寺院もありますし、7364段に及ぶ石段も、途中の御休処なども設置されていますから、一般人でも参拝可能です。

 というか、病気治癒を願う奉納登山も盛んで、該当者の身長と同じ長さの銀をコイル状に巻いた供物などを供えて治癒を祈ったり、足跡から採取されたとされる雨水を一種の霊水として持ち帰ったりしているようですから、いわゆる癒しのパワースポットに区分されるのかもしれません。

 生きていた時代に知られていた”世界”をかなり時間を掛けて広く旅をして、その旅の記録を残したことで知られるマルコ・ポーロやイブン・バトゥータもスリーパーダを訪れているそうで、足跡をどう解釈するかはともかく、古くから世界中の人が訪れている聖地であることは確かな話になるようです。

 ちなみに、富士山登山の目的として、頂上で御来光を拝む風習があり、その場合、夜10時ごろから登山をスタートしたりするのですが、スリーパーダの夜間登山は、事故防止ということもあるようですが、山が開かれる12月の満月の日から山が閉じられる4月の満月の日までと決められているそうです。

 ただ、スリーパーダの夜間登山に関しては山頂での御来光が目的なのか、月光浴が目的なのか微妙な気がしないでもなく、元々が太陰暦を前提としていたとすれば、月の力を無視する必要も無いのではないかと。

 念のために書いておくと、山頂の金色の岩に、長さ1.2メートル、幅0.8メートルの足跡(状の窪み)があり、それが”足跡”と思っている人もいるのですが、日本人だと秘仏という概念で解釈すると分かりやすいかもしれませんが、本物の足跡は露出しているその足跡ではありません。

 本来の”足跡”とされている本尊は、金色の岩の大きな足跡の真下に隠されていて、天然サファイアとも言われる石に残されているのですが、寡聞にして石がサファイアかどうか正式に鑑定したことがあるという話は聞いたことがありませんし、今後も特定することは不可能に近いでしょうし、特定しない方がいいモノも世の中にはありますから ・・・。

 逆に言えば、簡単に持ち去ることが出来ないサイズのサファイアに人の足跡らしき窪みがあったからこそ、それだけで奇跡現象と思った人が多かったということでしょうし、それを誰の足跡に見立てるのかは、いずれにしても後付けだったのではないかと思われます。

 もちろん、確たる証拠がないが故に誰の足跡とも特定する決め手に欠け、決め手に欠けるが故に解釈可能な幅が産まれて、複数の宗教の共通した聖地たりえているのかもしれません ・・・ 私的には基督教が一番最後に渡来したのが明確だからこそ実効支配や聖地の独占といったトラブルが起きにくいような気がしていますが(笑)。

 小咄ネタだと、秘宝館や見せ物小屋の”源頼朝の髑髏”の話にも似ているところがあり、客を呼び込んで展示品の解説をしているオヤジが”これがかの有名な源頼朝の髑髏でございやす。”とかやっていると、客から”源頼朝の髑髏にしちゃあ小さかねえか?子供の髑髏みたいだけどよ?”と声がかかったりするわけです。

 すると、解説していたオヤジは一つも動じることがなく、”へい、確かに小そうございやす。なにしろこの髑髏は源頼朝の小さい頃の髑髏という珍しい品でございやすから ・・・”と答えるわけです。

 或いは、形を変えた山岳信仰と考えれば、人類にとって山岳信仰というのは共通した原始宗教というか基礎宗教の形態であるが故に、後に分化していった宗教を越えて信仰の対象として許容しやすいのかもしれません。

 山岳信仰の原型の一つとして理解しやすいといえば、インドネシアのブロモ山があり、現在はヒンズー教の聖山として知られていますが、明らかに地元住民達の間でヒンズー教などが渡来する前から続く宗教行事との融合が見られますし、ブロモ山でも山頂から日の出を見るために夜間登山を行う人が珍しくないようです。

 ブロモ山がわかりやすいのは、現役というか活動中のクレーターから白い噴煙が上がっている火山だからで、地元のテングル人にとってはヒンズー教がどうしたこうしたというよりも、そこに素直に神がいると信じられたでしょうし、現在でも火口に火の神様がいると言われれば火山島の住人でもある日本人の多くも首肯するのではなかろうか?

 ブロモ山は標高が2329メートルで山頂まで275段の階段が整備されているのですが、年に1度の”カソド”の祭の時は、山の麓のヒンズー教の寺院で儀式を行った後、夜明け前に山頂へと供物を担いで登り始め、山頂にたどり着いたら日の出とともに供物をクレーターというか火口の神様へ捧げるそうです。

 この手の自然の神殿や祭壇が近場にない場合に、ピラミッドや巨石建造物を造って代用したのかもなあ?という気もしているのですが、その辺りの話はまた別の機会に。

初出:一夢庵 怪しい話 第4シリーズ 第013話:(2011/01/14)





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Last updated  2011.01.20 01:28:36
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