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2011.04.11
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カテゴリ:宗教
一夢庵 怪しい話 第4シリーズ 第076話 「ファストナハト」

 ボクシングやプロレスの試合で、チャンピオン・カーニバルと呼ばれる、ある程度の期間で複数のチャンピオンが決まっていく催しがあるのですが、体重によって細かく階級が分かれているボクシングはともかくプロレスに関しては今ひとつピンとこないところがあります(笑)。

 もっとも、その辺りは、人気のある複数の選手が一つのタイトルをかけてトーナメント試合を一定の期間繰り広げるファンサービスを兼ねた興業と考えれば腑に落ちるのですが、ま、”カーニバル”と銘打つだけに、お祭り騒ぎという意味合いが含まれているわけです。

 本来のカーニバルというのは、欧羅巴の基督教(の特にカトリック)圏内で行われた祝祭の呼称で、(復活祭前の40日は肉断ちと懺悔の期間になり)四旬節に先立つ数日(日、月、火の3日間が多い)のどんちゃん騒ぎが該当するとされているのですが、4-55”元祖万聖節”の回で触れたように、起源はケルトやゲルマンの祭礼に遡るようです。

 胡散臭いのは、四旬節の後に行われる復活祭(ふっかつさい)で、英語ではイースター(Easter)になりますが、一応、基督が死んで3日目に復活したことを祝う日とされているのですが、なぜか教会暦においては移動祝日で、春分後の最初の満月のあとの日曜日(イースター・サンデー)に祝うとされています。

 基督が復活した当日を祝わないのも謎ですが、復活を祝うとしてながら、春分の後の最初の満月が起点になっている(従って祭日が年によって移動する)というあたりで、本来は基督教の祝祭日ではなかったことが暗示というよりも明示されている気が(私は)します。

 いずれにしても、その前後を復活祭の聖節と呼び、基督教徒にとっては、(犯した罪を自白することで神に許しを請うことになるらしい)告解(懺悔という方がまだポピュラーか?)、(葡萄酒を基督の血、聖パンを基督の肉とし、この2品を聖体とする)聖体拝領が義務とされていたというかいるのですが、その一方で、イースターの兎とか、事前に隠してい置いた彩色した卵を探し出して食べる奇妙な風習の方が異教徒には知られています。

 基督の復活を祝うのが復活祭だとすれば、新約聖書に”なぜ彩色した卵(鶏卵)を食べるのか?”という由来の記載がありそうなものですが、私の知る限りではその根拠となるような逸話の記載はありませんから、やはり他の祭りを乗っ取ったと考えた方が良さそうです。

 興味深いのは、カーニバルの最終日を仏蘭西語だと”マルディ・グラ(太った火曜日)”と呼ぶのに対して、独逸語だと”ファストナハト(肉断ちの夜)”と呼ぶことで、仏蘭西と独逸で矛盾した表現になっているというか、肉絶ちの最終日を皮肉っぽく表現すれば仏蘭西語の表現となり、そのまま表現すれば独逸語の表現になるのかもしれません。

 一応、羅馬時代のサトゥルナリア(”サトゥルヌス”の祭礼)なども復活祭の起源とされ、この場合、復活することが祝われるのは基督ではなく太陽と考えられますが、春を迎えることを祝う祭礼が形を変えながら受け継がれたものと想定されますが、本来は鯨飲馬食の乱痴気騒ぎが繰り広げられる祭日で、下々の民衆が日頃の欲求不満を発散させる機会にもなっていたようです。

 基督教の肉絶ちとはえらい違いではないか?という気もしますが、現在では伯剌西爾のリオ・デ・ジャネイロで行われている、いわゆる”リオのカーニバル”のお祭り騒ぎに見られるように、観光産業とタイアップしたような形でスポンサーが付いて、為政者も黙認する風潮が無いと、どんちゃん騒ぎは難しいようです。

 考えてみれば、告解という制度は、特定の個人が一定の地域内の住人の犯罪歴を個別に熟知するということですから、外部に漏らさないとしても”弱みを握る”ことに直結するメリットがあるわけですが、告解をされても話を聞くだけで具体的には対応しなくて(も)いいあたりがミソかもしれません。

 厳密には、宗派というか教派によって告解は概念や用語が異なり、カトリックと正教会系では、教義上”サクラメント”とされているのに対して、聖公会では聖奠的諸式とされ、プロテスタントにおいてはサクラメントとはされていないというあたりでも、告解や懺悔の内容がどうのように利用されていたかを暗示している気がしないでもありません。

 念のために書いておくと、サクラメント(sacrament)というと街や地名の方が先に思い浮かびますが、基督教においては、”神の見えない恩寵の具象化”とでもいったことになり、新約聖書において基督が明確に偶像崇拝の類を否定していることもあってか、様々な宗教儀式をもって神の恩寵の具象化としているようです。

 サクラメントをどのように訳すかは、教派によってバラバラで、カトリック系だと”秘跡”、正教会系だと”機密”、プロテスタント系だと”礼典”、聖公会系だと”聖奠”といったことになるようですが、サクラメント自体を否認する教派も存在しますから、本来は存在しなかった教義と考えてもいいのかもしれません ・・・ 身も蓋もありませんが。

 本来ということでは、新約聖書に記載されているイエス・キリストの言行が神の隠れた神秘の具象化であり、ギリシア語で”秘儀”を意味する”ミスティリオン(ミステリーの語源)”と称されることがあり、特に十字架にかけられたイエス・キリストの姿にそうした神の隠された神秘が凝縮されており、原サクラメントというかサクラメントの頂点と考えられていたようです。

 話がややこしくなるのは、ある種の生まれ変わりを意味する”洗礼”の儀式をサクラメントと解釈するようになったり、(基督の血と肉に見立てているわけですから)聖体の聖パンと葡萄酒(聖別された油を含むこともある)をサクラメントと解釈する人も出てきて、次第に拡大解釈の横行というか収拾がつかなくなっていきます。

 サクラメントの乱用というか混乱は、宗教改革においてプロテスタント派から、儀式の儀礼化や形骸化が進んだことで、儀式を受けただけで神の恩寵が他には何もしなくても受けられる(免罪符にも通じる発想ですが)とでもいった認識が広がり、聖物売買などの現世利益利用や物象化を招いているといった批判の的になっていくのですが、そのプロテスタントをして”洗礼”と”聖餐”の2つの「礼典」は認めています。

 カトリック教会系ではサクラメントを”7つを秘蹟”とし、”洗礼、聖体、婚姻、叙階、堅信、告解、終油”といったことになるのですが、よくよく考えると、いわゆる葬式仏教と大差が無いどころか、産まれたときに洗礼を受けるとすれば、揺りかごから墓場まで、主要な人生の節目の行事が教会の営業項目に入ることになります。

 それでいて、確かにプロテスタント派が指摘するように、新約聖書で基督が行った儀式として記載があるのは、”洗礼”と”聖餐(カトリックや正教会だと「聖体」)”くらいのもので、それ以外の儀式は新約聖書において、イエス・キリスト自身が行ったという記載が無く、基督によって制定されたことが確認されていないのも確かな話になるわけです。

 まあ、いずれにしてもカーニバルの風習と基督教が本来無縁だったと考えた方がよさそうなことは理解できます(笑)。

 一つの起源として、サトゥルヌスの祭礼だったという説があるのですが、サトゥルヌスは古代ローマにおいては農耕神で、ギリシア神話だとクロノスに該当するのですが、ギリシアから伊太利亜に移住して農業などを教えたとされ、その祭儀をサトゥルナリア(Saturnalia)と呼んでいたのですが、東西羅馬帝国に分裂する直前に一神教の基督教が事実上の国教となったことで排斥されていくことになります。

 ただ、長年、広く民衆に親しまれてきた風習を根絶することは難しく、基督教側も強攻策の愚としたのか、基督教側の祭礼などに置き換えられていく過程で徐々に失伝していくのですが、クリスマスの風習に見られるように、純粋に基督教の教義から見れば、何をやっているのか意味不明な祭礼が普及の過程で増加していったとも言えます。

 余談ですが、ギリシャ神話におけるクロノスは、ウラノスとガイアの子とされ、ティタン(巨人神ですな)神族の末弟ですが、父を倒して主神となり、姉であるレアを妻としたことでも知られ、”自分の子によって倒される”という予言を恐れ、子どもが生まれる度に呑み込んで(早い話、殺して)いたとされるのですが、レアは(後の主神)ゼウスをクレタの山中に隠して育てることに成功します。

 かくして、レアの策略で生き延びたゼウスは無事に成長し、クロノスにメティスからもらった薬を飲ませて、呑み込まれていた兄や姉にあたる、ヘスティア、デメテル、ヘラ、ハデス、ポセイドンを吐き出させた上で父の王位を奪ってオリンポスの主神となるのですが、まあ、詳細はギリシャ神話でも読んでください。

 いずれにしても、従来の土着の信仰の祭礼を4世紀中頃くらいから無理矢理に基督教側が呑み込んだ弊害は大きく、クリスマスを基督の降誕祭と言いくるめたまではよかったものの、その後の研究で、少なくとも基督の誕生は冬場ではなかったことが判明していて、”あら?”という状況になっているという話は以前にもしたことがあります(笑)。

 クリスマスはギリシャ語起源らしいのですが、仏蘭西語でノエル、伊太利亜語でナターレ、独逸語でワイナハテンとバラバラなあたりで、各地の別々の祭礼だった可能性さえあるのですが、東方教会系では1月6日としているあたりでも、ゲルマン民族の冬至祭”ユール”や羅馬の”サトゥルヌス祭(サトゥルナリア)”或いはミトラス教の祭日などなどを無理矢理に習合させたものという説に説得力があります。  バール地方のフィーリンゲンでは、魔女を裁判にかけた後、その首を切り落として首と胴体を焼き払った故事を模倣するのがファストナハトのクライマックスといか終焉になることで知られているのですが、土着の民間信仰とカトリック教の奇妙な融合といえばそれまでの話かもしれません。

初出:一夢庵 怪しい話 第4シリーズ 題076話:(2011/04/05)





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Last updated  2011.04.11 00:25:04
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