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2011.06.29
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カテゴリ:宗教
一夢庵 怪しい話 第4シリーズ 第144話 「シナイ山」

 映画の”十戒(じっかい、The Ten Commandments:1956)”は旧約聖書の”出エジプト記”を下敷きにして、モーセの誕生から最後までを描いた古典の名作として知られているのですが、モーゼ役が”猿の惑星(1968)”でお馴染みのチャールトン・ヘストン、エジプト第19王朝の第3代のファラオ・ラメセスに”王様と私(1956)”や”荒野の七人(1960)”で知られるユル・ブリンナーが起用されている他、かなり豪華なキャスティングになっています。

 それはともかくとして、旧約聖書の”出エジプト記”で,”モーセが神から十誡を授かった山”とされているのがシナイ山で、私も長らくシナイ山というのがあると思い込んでいたのですが、シナイ山は架空の山とまではいいませんが、奇妙なことにどの山か聖書の中でも、現実世界でも特定されていなかったりします。

 まあ、シナイ半島の大部分が砂漠になっていて、場所によっては岩石が2500度以上の高温に晒された後、急速に冷やされたときにだけ生成されるテクタイトに埋め尽くされている光景は、古代核戦争の主舞台の一つがシナイ半島だったことが影響しているのではないか?といった話は、これまでに何度かしてきたところではあります。

 テクタイトに覆われた地表や、建材の石や煉瓦などが部分的にガラス化している遺跡などは世界規模で確認されていて、周辺の文明は崩壊しても人類が全滅しない程度の手頃な大きさの隕石が運良く激突したにしては遺跡や遺物の数が多すぎるのですが、4-128”西へ東へ”の回で紹介した竹内文書におけるシュメール人の話で、西へ向かったスメル族の一部がなぜシナイ半島より西を確認せずに帰国することになったのか?に関しては、古代核戦争の影響という説もあります。

 つまり、東の果てが日本にまで達するような入植地や植民地を形成していた世界規模の帝国が古代にあったとして、首都というか本拠地がシナイ半島近辺だったとすれば、西の果ては阿弗利加の象牙海岸や奴隷海岸のあたりまでは想定できるだけに、なぜシナイ半島より西へスメル族たちは進んで、地中海沿岸から北阿弗利加を経て象牙海岸や奴隷海岸あたりまで、植民地や入植地の類を確認しなかったのか?が謎として残るわけです。

 いずれにしても、ノアの箱船が漂着したアララト山が特定されていて、モーゼが十戒の石版を与えられたシナイ山が特定されておらず、幾つかの山が候補として知られている現状というのは、大洪水の後、しばらくは順調に復興していき、モーゼが十戒の石版を受け取ったしばらく後に、(風紀の乱れという説が宗教家などはお気に入りのようですが)何らかの原因で既存の文明が崩壊し著しく衰退するような(古代核戦争の可能性を含む)異変が広域で生じたのではなかろうか?

 ちなみに、シナイ山の候補としては、シナイ半島南部にあって、3世紀頃に建設されたカタリナ修道院(Saint Catherine's Monastery)でも知られるムーサー山(2285メートル)が第1候補とされているのですが、山麓にあるカタリナ修道院で1844年に4世紀頃のものとされるシナイ写本が発見されている他にも、1904~1935年に付近でシナイ文字碑文が発見されていることなどから、基督教が成立した頃には既に聖地になっていたのではないか?と考えられています。

 ムーサー山は、アラブ人はジェベル・ムーサー(アラビア語で”モーセ山”)と呼んでいるそうで、アブラハムの宗教でも神聖視されているのですが、周辺にモーセに関わる伝承を持つ泉や岩が数多く存在しているのはともかく、聖書の描写に合致するような広大な平原が周囲に無いこと、出エジプトでエジプトからパレスチナへの帰途の道として考えると、不自然に南すぎるという点などから、一部の聖書学者たちから異論が出始め、現在では北側にある”ラス・サフサファ (Ras Safsafeh / Sufsafeh)” が本当のシナイ山ではないかという説に人気が出ています。

 そもそも、基督を神の子とする基督教と、新約聖書では基督が批判することもあるモーゼの十戒の間に何の関係がある?というのはもっともな疑問ではなかろうか?

 ちなみに、十戒(じっかい:Ten Commandments,Decalogue)は十誡とも書くことがあるのですが、旧約聖書において(もっぱらユダヤ系の)宗教の根本的倫理を規定する10の戒律として知られていて、出エジプト記の記述によるものが多く、若干の違いがあるパターンもあるのですが、概略としては、

1.”わたしのほかになにものをも神とするべからず”
2.”自分のために刻んだ像を造るべからず”
3.”神、主の名をみだりに唱えるべからず”
4.”安息日を憶えて、これを聖とするべし”
5.”父と母を敬うべし”
6.”殺すべからず”
7.”姦淫するべからず”
8.”盗むべからず”
9.”隣人について偽証するべからず”
10.”隣人の家をむさぼるべからず”

といったあたりがポピュラーで、強要が2の禁止が8という、かなりネガティブな内容になっていますし、こういった”べからず集”が必要なほど風紀が乱れていた事が窺い知れます。

 偶像崇拝に関しては、金色の雄牛の象の崇拝に関する話が映画”十戒”にも出てきますが、風紀を乱す邪教の象徴とでもいった存在を想定しているのかもしれません。

 安息日に関しては、新約聖書の中で基督が”安息日だからといって何もしないことが許されるのか?”といった問題提起を何度かしていて、時には実際に行動に移していることもあるのは比較的知られた話だったりします。

 また、これまでに何度か検証してきたように、基督にとって”父と母を敬うベシ”と言われても、基督教も宗派によっては聖母マリアは処女だったときに基督を身ごもったとしていますし、単に父親が明確には特定されていないだけでマリアは未婚の母だったとする宗教や宗派もあるだけに、そもそも敬うべき”父”が良く分からない基督が素直に頷けたかどうかが私には謎です。

 姦淫すべからずという規制に関しては、アダムがマンネリな上に下手くそだったことでリリスが不満を募らせて最初の結婚生活が破綻したというのは比較的知られた話ですし、この条項があったがために、快感を伴う性交渉は是か非かという奇妙な宗教論争が後に巻き起こることにもなり、快感を伴わない正しい性交術が大真面目で制定され正常位という名称の由来だったりもします ・・・ もちろん、某宗教の某宗派内の話ですが。

 突っ込みどころか満載の十戒で私的に一番興味深いのは、飲酒や喫煙などに関する”べからず”が無いことですが、煙草は亜米利加大陸が発見された後、先住民の喫煙の習慣と伴に旧大陸に持ち込まれるまでは、旧大陸には存在しない植物であったことを考えれば禁止対象になっていないことは納得できるとしても、飲酒を ・・・ 特に過度の飲酒をなぜ禁じていないのか?は謎です。

 聖カタリナ修道院は(ギリシャ正教や露西亜正教など)正教会の修道院ですが、修道院は現在も継続して機能していて正教会においては世界最古の修道院で、ユネスコの世界遺産にも登録されているのですが、東羅馬帝国の皇帝ユスティニアヌス1世(の母親であるコンスタンティノポリスのヘレナ)が命じて、527~565年の間に建設されたとされ、修道院の場所は、これまた映画”十戒”の中にも登場しますが、モーセが神の言葉を授かるときに遭遇した燃える柴が見られた場所ともされていて、現存する低木は原生のものであると主張しているようです。

 ヘレナは聖遺物の収集にも熱心で、基督が架けられた十字架の破片などを所有していたようですが、シナイ山にも訪れていて、”燃える柴”を発見して修道院を建てる場所を指定したのも彼女とされていますが、修道院の中庭にあるモーゼが水を汲んだ井戸の真偽に関しては諸説あるようです。

 ユダヤ教にとって聖地になるのは、モーゼの活躍や奇跡現象などから考えて当然ですが、なぜかいろいろと異論がありそうな基督教においても聖地とされているのは、初期キリスト教において斬首刑にされた殉教者の一人で、正教会では致命女聖人とされているカタリナの遺体が天使によって運ばれた地がムーサー山とされていることが大きいようです。

 聖カタリナは、アレクサンドリアのカタリナ(287~305)として知られ、エジプトのアレクサンドリア知事だったコンストゥスの娘とされているものの、実在を疑う歴史学者も珍しくありませんが、東羅馬帝国皇帝に基督教の待遇改善を要求したときに、言い寄ってきた皇帝を袖にした結果、車輪の刑(車輪に手足をくくりつけられて転がされるという拷問)に処せられることになったものの、奇跡現象によって車輪が壊れて未遂に終わったため、むきになったのか斬首に処され、その遺体は天使によってシナイ山へ運ばれた ・・・ とされているわけです。

 カタリナの車輪として知られる逸話ですが、正教会では聖大致命女エカテリナ(ロシア語名のエカテリーナはラテン語名カタリナと同義)として敬われ、ローマ・カトリックでは”14人の聖なる援助者”の一人とされることが多く、ジャンヌ・ダルクが幻視において会話をした聖人の一人ということにもなっていますし、才色兼備の麗人ということもあってか多くの分野で守護聖人とされています。

 では、イスラム教にとってはなぜ?ということになると、修道院が保存しているムハンマド(マホメット)本人により署名されたとされている文書によればですが、修道院が政治的な亡命者を引き受ける施設としても機能するようになった後、ムハンマドが敵から身を守るために一時的に修道院に身を隠したことがあったことが大きかったようですが、修道院領内にファーティマ朝のモスクが建立されたことで、イスラム教の勢力圏内になっても基督教の修道院でありながら黙認されていたようです。

 微妙なのが、聖カタリナの名を冠した修道院として知られているものの、実際のというか本当の名称が”救世主顕栄修道院”という玉虫色の解釈が可能な名称ということで、基督教徒にとっては、聖カタリナと結び付けられた聖地として聖地巡礼者からの人気を得ることとなり、イスラム教とからすれば、ムハンマドが身を隠した聖地として人気があるということになるようです。

 なお、修道院の図書館は、イスラム教関連の資料を含む初期の写本や手記などの収集物を、バチカン図書館に次ぐ規模で所蔵していることでも知られているのですが、公にされていない”何か”によって3大宗教にとっての聖地としての地位を守り続けているのかもしれません ・・・ ま、修道院の地下にUFOの残骸や秘密基地があるというオチは、さすがに無いとは思いますが(ちょっと残念)。

初出:一夢庵 怪しい話 第4シリーズ 第144話:(2011/06/23)





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Last updated  2011.06.29 01:16:06
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