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2011.08.22
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カテゴリ:教育・職業
一夢庵 怪しい話 第4シリーズ 第190話 「スパッツ」

 東京オリンピック(1964)の頃から普及が始まったショーツ型のブルマは、大阪万博(1970)の頃にはかなりの小中学校で普及しているのですが、これは(幸か不幸か)、戦後の経済状況が好転したこともあって、義務教育である小中学校で体操服が男女ともに指定されるようになったことと無関係では無いようです。

 実際、小学校、中学校、高校、大学に至るまで、女子の体操服として学校側から指定されたブルマが従来の提灯型ではなくショーツ型だったということで、それを実際に使用する女子生徒の側が”お尻のラインがはっきりわかって猥褻だから嫌だ!”と反対しても、学校側が着用を強要したと言われてもしかたのない経緯になります。

 つまり、当時の生徒や学生の側が従来の提灯ブルマだとダサイからショーツ型のブルマをぜひ採用してくださいと嘆願した結果では無く、逆に、着用してみて”恥ずかしい”と異を唱える女生徒がいても、”何が恥ずかしい!”と学校の先生が延々と採用を続けたということです。

 疑ってかかれば、提灯ブルマだと、当時の母親達がその辺の布を使って自作できていたわけですが、さすがに化学繊維を使ってショーツ型のブルマを自作できるだけの裁縫技術がある母親となると限られますから、メーカー品を買うしかない家庭が大半だったと考えれば、逆に、メーカー側にとっては一つの都府県で一度に数万~数十万枚が確実に(新規に)売れる商圏が誕生するわけです。

 しかも、毎年毎年、確実に小学校へ入学する子達の分は売れますし、成長期の子供達ですから臀部にぴったりとした形状にしておけば2~3年もすれば確実に上のサイズへ買い換える必要が出てくる子の方が多いでしょうから、売る側からすれば笑いが止まらなかったのではなかろうか?

 後に、学校や学年毎にブルマの色やデザインを変えるというアイディアが普及すると姉妹や親戚、知人などのお下がりを利用することも難しくなりますし、転校したり卒業して上の学校へ進学した場合でも学校毎にブルマの色や形状が違っていれば使い回すことができず新規の購入になりますから、その点でもかなり美味しい市場でしょう。

 確実に言えることは、どのくらいのキックバックが採用されたメーカー側から採用した側にあったのか?と勘ぐられてもしかたがない状況下で、あっという間に全国的に(それまで自作可で何の問題も無かった)提灯ブルマは駆逐されショーツ型のブルマを指定する学校が主流になっていったことだけが確かな話になります。

 が、女子生徒のヒップラインがもろに出てしまうショーツ型の弊害というか、女子生徒のブルマ姿に独特な反応を示す男性が少なからずいることが一般に認知された最初の事例は、振り返ってみれば、”アクション・カメラ術(1981:馬場憲治)”に象徴されるカメラ小僧や素人カメラマンの増加で認知されるようになったとも言えるのですが、逆に言えば、そういった具体的な被害が生じるようになったことで、女生徒側からの(特にショーツ型)ブルマ廃止やスクール水着廃止要求がしやすくなったとも言えます。

 しかしながら、通常3年程度で学校を卒業しますし、社会に出れば二度とブルマやスクール水着の類を着用する事が無い人が多いためか、全体としては、生徒の側からの過激な廃止を要求する抗議活動が活発化することは無く、学内への不審者の取り締まりや運動会などへの親族関係者以外の来校を規制するといった(中略)取締強化の方が進んだようです。

 それでもまだ当時はネットで半永久的に画像が晒されることも無い牧歌的な時代でしたが、そういった状況が一変したのがバブルの到来で小金持ちの男性が増加したことで、女子中高生の私物が商業ベースで売買されるようになり、金に目が眩んだ女子生徒の側も自発的に私物を売り飛ばして下手なサラリーマンより稼ぐ時代が到来したあたりからではないかと。

 女子生徒の私物を売買する専門店が乱立した時代もあったのは御存知の通りで、当時、中古の制服や体操服などが数万~十数万円で売れて、顔写真が付いていれば更にプレミアが付いて値が上がることもあるという、中古の方が新品より高いという奇妙な商売が成立していたわけです。

 そうなってくると、ブルマ廃止を主張する女子生徒と、ブルマを売って小金持ちになる女子生徒が同じ学校に同じ時代に混在するようになっていったことになるわけですが、同じ頃から次第に女子生徒のスカート丈が短くなっていき、(スカートの)丈は膝上二十センチと歌われる時代に突入したことを考えるとき、ショーツ型(中略)は恥ずかしいと言われても、”なんだかな~”と言う気がしないでもありません。

 バブルの崩壊後、ルーズソックス、ガングロ茶髪などに象徴される傾ぶいた女子高生ファッションも山姥メイクを最期の輝きとして美白のお嬢様系へと主流が移っていき、女子生徒の中古私物市場も買う側の懐事情が厳しくなったこともあって激減した上に値崩れしていったのは御存知の通りですが、なぜか未だにスカート丈は短いままで推移していて、社会人女性でも”見せる”ファッションが普及しているのは御存知の通り。

 制服のスカートをたくし上げたり切りつめて着用していた世代が学校を卒業して社会人になっていくと、次第に胸の谷間を露骨に強調したり、ローライズのジーンズで路上でしゃがみ込んだり、キャミソールなどの下着をまるまる見せて闊歩して男性の目を意図的に引きつけても、”ファッション”の一言で女性の側が済ませてしまう時代が21世紀に入った辺りから本格化していったのですが、なぜかそういった時代の流れとは別の所でブルマは廃止されていきます。

 時代的にブルマ廃止が盛り上がったのは、女子生徒の抗議活動が発端だというなら1980年代になりそうなものですが、実際には学校の内外の男女同権論者やジェンダーフリー教育論者などの政治活動によるところが大きかったとしか言いようが無く、本来はブルマの形状を変えるか他の体操服を指定すれば済む程度の話が、”通常体育の授業時は男女別服装である合理的理由はなく、男女平等教育の観点に照らして男子・女子とも同じ運動着を着るべき”という主張に象徴される政治運動のターゲットにされたところがあります。

 ブルマ廃止が政治運動だったという根拠は、なぜかブルマ追放運動の様相を呈する過激な状況になったことで、魔女狩りにも似たその動きは1990年代中盤にピークを迎え、個性を伸ばすゆとり教育を標榜していながら、横並びが大好きな教職員が今も昔も多いこともあって、ブルマの廃止の動きは生徒とは無関係のところで数年で全国に広がり、公立校は2004年、私立校でも2005年を最後に、女子の体操着としてブルマーを指定する学校は日本から(ほぼ)消滅しています。

 そもそものブルマの普及が女性解放運動の一つの象徴であったことを考えるとき、ブルマという呼称を廃止させることは男女同権論者やジェンダーフリー論者という、その後に登場した社会運動家にとって先駆者の功績を抹殺するチャンスでもあったと解釈することができ、その狂信的とも言える廃止への言動は生徒の為というよりも、露骨な政治運動と解釈されてもしかたのない行為だったと私は思います。

 検証していて、常軌を逸している政治活動だった痕跡は、学校が校則でブルマの着用を禁止した事例もあれば、ブルマを着用した生徒を違反者として摘発し処罰を与えるとした学校もあることで、そもそもが女性解放運動の産物であったブルマをいかに貶めて抹殺していくかに偏執的な執念を燃やした連中がいたと勘ぐられてもしかたがない光景が、日本の学校教育の現場におけるブルマの終焉時には見られたわけです。

 別の視点から言えば、”ゆとり~君教育”が普及するのに比例するかのようにブルマ廃止の動きが加速していますから、従来型の教育を否定し”ゆとり~君教育”を推進した成果の一つがブルマの廃止だったと解釈することもできますが、結果、学力の低下と風俗の乱れが加速されただけだったのは御存知の通りで、創造性に満ちた人材が受験戦争世代よりも高い割合で供給されるどころか先細りしていることもまた御存知の通り ・・・ ゆとり~君教育推進者達の責任を追及せず処罰もしないで済ませているのは戦後教育業界最大の謎でしょう。

 ちなみに、ブルマを廃止した後は、白いハーフパンツ(短パン)を採用する学校が多かったそうですが、そのあたり、”とある魔術の禁書目録(2004~:鎌池和馬)”の御坂 美琴(みさか みこと)が制服のスカートの下に白系短パンを重ね履きして見せパンとしたことで、一部の卒業生達にブルマが廃止されたことが知られるようになったというのは、これまた一部では知られた話になります ・・・ ま、卒業して久しく、子供がいるわけでもない私的にはどうでもいいといえばいい話ですが。

 もっとも、女学生が制服のスカートの下に○チラ防止のアウターとして着用したり、社会人女性がヨガ教室やスポーツジムなどで着用するようになったのが、白短パンではなく黒いスパッツ(spats)だったというあたりで、ブルマの廃止と白短パンへの切り替えが別に生徒の意見を採用しての変化では無かったことの最大の状況証拠ではなかろうか?

 念のために書いておくと、日本に置ける”スパッツ”という商品区分は和製英語の類で、本来の英語が意味するspatsは、靴の上に装着する脚絆(ゲートル)のことになり、日本のパンツ状の着衣のスパッツは欧米では”レギンス (leggings)” か仏蘭西語の”カルソン (calecon)” と呼ばれていることが多く、逆に、それらを日本語訳すれば、一番近いのは股引(ももひき)に ・・・ まあ、それだと売れそうにないですけどね。

 スパッツはアウターとしても利用されていますが、本来は下着から発展したもので、1980年代中頃のバブル期にボディコンファッションが流行した頃から、パンストより丈夫で吸汗性に優れ補正効果もあるアウターとしても利用されるようになり、スポーツのトレーニング用にも流用されるようになっていったのですが、2006年頃から、ファッション業界がおしゃれ着としてのスパッツを売り出す為に、唐突に”これはレギンスです!”と主張するようになり、いたいけな男性陣に”スパッツとレギンスって何が違うの?”という謎を広めて今日に至ったのでした(笑)。

初出:一夢庵 怪しい話 第4シリーズ 第190話:(2011/08/16)





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Last updated  2011.08.22 00:47:34
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